社会学者の橋爪大三郎氏と元外務省主任分析官の佐藤優氏による対談。今回両氏が挑むのは、現代キリスト教に最も影響を与えた神学者カール・バルトである。バルト神学を突き詰めれば、今後キリスト教世界の進む道が見えてくる。
橋爪:これまでは歴史的な文脈で三大一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)を語ってきましたが、今回は現代のキリスト教に絞って議論を進めてみましょう。
佐藤:キリスト教は第一次世界大戦を境に大きく変わりました。19世紀の主流も啓蒙主義でした。多くの人が基本的には科学技術と人間の理性に頼ることで理想的な社会が作られていると考えていた。
橋爪:神がいなくても合理的に考えれば、世界は進歩していくはずだ、と。
佐藤:そうです。また19世紀はナショナリズムの時代でもあった。国家や民族という大義の前に命を投げ出す土壌がつくられた。そして大量破壊、大量殺戮をもたらした第一次大戦が起きた。
19世紀は、基本的に18世紀の啓蒙主義を継承していた。理性を基本にした社会から世界大戦が生じてしまった。そして伝統的神学はこの戦争を追認することしかできなかった。この限界を克服しようとする過程でバルト神学は生まれたのです。バルト神学は、現在のキリスト教を考えるうえで避けては通れないほどの影響力があります。
橋爪:バルト神学は、スイスの神学者カール・バルト(※注1)が確立したものですね。どんな特徴がありますか?
【(※注1)1886―1968。スイスの神学者。バルトが著した新しい聖書解釈「ローマ書」は第一次世界大戦後のヨーロッパに影響を与え、一大神学運動を巻き起こした】
佐藤:18世紀末ころまでキリスト教では、神は天上にいると考えられていました。
橋爪:でもそれでは、当時市民の間で常識となった天体学や科学と矛盾してしまいます。
佐藤:そうなんです。そんな時期、「19世紀プロテスタント神学の父」と呼ばれたドイツの神学者シュライエルマッハー(※注2)は、神は心のなかにいるという説を唱えた。しかし神が心のなかにいると自分の主観的な感情と神を区別できなくなる。このシュライエルマッハーの考えを否定したのが、バルトです。
【(※注2)1768―1834。ドイツの神学者。宗教を哲学や道徳と区別。宇宙の直観の領域と説いた】
バルトは、神は物理的な意味で上にいないことを理解しながらも「神は上にいる」と定義しました。人間は神ではないから神について知ることはできない。しかし牧師や神学者は信徒に神について語らなければならない。だから神学は「不可能の可能性」に挑戦する学問だと主張しました。
バルトが「不可能の可能性」と語ったのは第一次大戦後の1918年。そこから神の居場所が「心のなか」から「上」へと変わったのです。
※SAPIO2015年10月号