影の総理とまでいわれる菅義偉・官房長官。生い立ちから青春時代までどのような人生を歩んできたのか。ノンフィクション作家の森功氏がSAPIO連載「総理の影 菅義偉の正体」の中でインタビューした。
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菅義偉は、世辞にも華のある政治家とはいいがたい。だが、安倍政権を支える屋台骨として、霞が関の官僚に睨みをきかせ、産業界とも連携してきた。
そんな菅は高校卒業後、郷里の秋田を離れ、東京にやって来た。父親に反発し、家出に近い上京だったという。奇しくもそれが政治家になるきっかけとなる。
──南満州鉄道の職員だった父・和三郎は満州から命からがら引き揚げ、秋田でイチゴ農家を成功させた。父親の影響は?
「まあ、男の子はみな親父の影響を受けているのでしょうね。満鉄ではものすごく待遇がよかったらしく、官舎があって、お手伝いさんがいたとか、そういう話はよく聞きました。
満鉄でそれまで最高の幸せな家庭を築いてきたのに、戦争で負け、一転して引き揚げてくるときは大変だったらしい。姉二人は向こうで生まれましたから、一緒に帰ってくるときの話とか、それは聞いています。ただ、引揚者はたいていそうでしょうから」
和三郎は終戦後、イチゴの生産組合を設立し、町会議員にもなった。二人の姉はともに高校教師になっている。菅本人は巷間伝えられているように集団就職せざるをえなかったわけではなく、地元に残る選択肢もあったはずだ。