栃木県日光市は、戦時中、当時小学5年生だった天皇陛下が疎開生活を送られていた場所だ。9月17日から18日にかけて、陛下は皇后美智子さまとご一緒に、その地を訪れる予定だった。
「戦争の真っただ中、学習院初等科のご学友と約1年間過ごされた日光は、陛下にとって忘れることのできない特別な場所です。昨年5月にも私的ご旅行で足を運ばれていますが、今年は戦後70年ということもあり、日光ご訪問には、より強いお気持ちがおありのようでした」(皇室記者)
ところが、ご旅行を1週間後に控えた9月10日、北関東は豪雨に見舞われた。日光でも鬼怒川の氾濫など甚大な被害をこうむり、両陛下は、特に被害の大きかった栃木・茨城両県へお見舞いの気持ちを伝えられたうえで、日光ご訪問を取りやめられた。
「もし予定通り現地を訪れれば、自治体の関係者や警察が、準備や歓送迎などに手を取られてしまうことを両陛下は誰よりもわかっていらっしゃる。被災者の救助や避難生活を余儀なくされている人々へのケアなど、災害の対応に支障をきたしてしまうことが少しでもあってはならないと、取りやめをご決断されました」(宮内庁関係者)
2011年の東日本大震災、2013年の伊豆大島土石流災害、昨年の広島市土砂災害︱両陛下は可能な限りすぐに被災地に向かわれてきた。うだるような暑さの中でも、ハンカチで汗を拭おうともされず、底冷えするほどの寒さの避難所でも、スリッパも履かれず、床に膝をついて被災者と同じ目線で励ましのお声をかけられてきた。
「両陛下は現地の事情を気遣われ、極力宿泊せずに日帰りで慰問をされるのです。そのため過酷なスケジュールになることも多い。
美智子さまは8月に精密検査を受けられたばかりでご公務の負担軽減は至上命題ですが、それでもご自分のお体よりも、被災地へのご訪問を優先されるのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
かつて、美智子さまは身近な人に次のように述べられたことがあったという。
「私どもが、被災地をお見舞いしたところで、いったい何ができるのかを考えますと、極めて無力だという気がしてなりません。
しかし、皇室が国民に直接手助けをすることはできないかもしれませんが、被災地に行くことによって、ほんの少しでも悲しみや、沈んだ心を励まして、被災者の皆さんが明るい未来に自らの力で立ちあがることへのお手伝いができれば、私どもは行かなくてはなりません」
※女性セブン2015年10月3日号