8月22日、美智子さまは天皇陛下とご一緒に軽井沢(長野県)を訪れ、戦後、旧満州(現・中国東北部)からの引き揚げ者が入植した大日向開拓地を視察された。
「両陛下は昨年のご静養の際にこの地に足を運ばれる予定でした。ところが広島の土砂災害を受けてご静養を取りやめられたため、訪問は実現しなかったのです。これまで軽井沢に行かれた際には、たびたび大日向開拓地を訪ねられてきましたが、今夏はより一層の強いお気持ちで向かわれたことでしょう」(宮内庁関係者)
一方で、今年両陛下がおふたりだけでその地に向かわれたことは、関係者を驚かせた。
「実は昨年の大日向開拓地ご訪問は、秋篠宮妃紀子さまと佳子さま、悠仁さまとご一緒の予定だったのです。長きにわたって祈りの旅を続けられてこられた両陛下ですが、特に美智子さまは、戦争の記憶を若い世代に語り継いでいかなければいけないという強い思いを抱えられています。
ですから今年は当然秋篠宮家と合流されるだろうといわれていました。しかし、実際に合流されることはなかった。その理由は、日程が合わなかったというだけではないようです」(前出・宮内庁関係者)
1990年6月に秋篠宮さまと結婚された紀子さまは、美智子さまをお手本として女性皇族としての品格を学ばれてきた。
「紀子さまは、美智子さまがお出ましになったときの過去の映像を取り寄せ、言葉遣いから身ぶり手ぶりや身のこなし、歩き方まで学ばれました。また、折に触れては、眞子さま、佳子さま、悠仁さまを連れて皇居に参内し、美智子さまとお話しされる時間をとても大切にされてきました」(秋篠宮家関係者)
一方、1993年6月に皇太子さまと結婚された雅子さま。連綿と続く皇室の伝統やしきたりといったプレッシャーを強くお感じになり、療養生活に入られてからは、皇太子ご一家が両陛下をお訪ねになる機会も、減っていった。
「両陛下との関係において、雅子さまは紀子さまと比較され、“嫁”としてのあり方を非難されることもありました。対照的に、美智子さまと紀子さまの蜜月ぶりが報じられるようになりました。
しかし、民間から皇太子妃として皇室に嫁ぐという同じ境遇に立ち、ご自身もさまざまな苦労を乗り越えられてきた美智子さまは、雅子さまのお苦しみも充分理解されています。お食事をご一緒される機会があれば、美智子さまは、時間を惜しむことなく雅子さまに話しかけられるそうです。いつも雅子さまの様子を気にかけていらっしゃるようです」(前出・宮内庁関係者)
だからこそ、雅子さまがご快復の階段を上られていることは、美智子さまにとって何より喜ばしいことだろう。
「美智子さまは、そのような時期に雅子さまのお耳に雑音が届くことを少しでも避けてあげたいとお考えになられて、今年の夏休みのご静養中に紀子さまたちと合流されなかったのだと思います。これまでもご静養先で美智子さまと紀子さまがご一緒すると、“雅子さまは美智子さまを避けているのか”“なぜいつも別行動なのか?”などという声があがったこともありましたから」(前出・宮内庁関係者)
※女性セブン2015年10月8日号