カレーはいかにしてニッポンの国民食となったのか。カレーといえばインドだが、日本初のインド料理店として1949年に東京・銀座にオープンしたのが『ナイルレストラン』だ。2代目のG・M・ナイル氏は当時小学1年生だった。
「創業以来、変わらぬ名物が鶏肉のカレー『ムルギーランチ』です。ムルギーはヒンディ語で鶏肉。終戦後に、“○○ランチ”というメニューが並んだ時代があるそうで、“定食”といったニュアンスかな。当時のカレーは高級で、たしか400円くらい。月給が1万円いかなかった頃だから、とても高いね。
西洋からきたカレーとは趣が違うから、最初は『なんだ、おやじ! ゴミが入っているじゃないか』とベイリーフの葉っぱをつまみ出して大騒ぎしたお客さんもいたみたい(笑い)。でも、本場インドのスパイスの風味を日本人はすぐに受け入れてくれたと、創業者の父から聞いています」
1980年代に入ると、新顔の「タイカレー」が登場する。老舗のひとつ、東京・阿佐ヶ谷『ピッキーヌ』では創業以来、グリーンカレーのペーストは自家製である。本場と同じく、ドライではなく生のハーブ類を使うのが譲れないこだわりだ。
「創業した1989年は、レモングラスが1キロ3500~4000円もした。だからタイでカレーペーストを作って輸送していたのですが、輸送費が高くて採算が合わない。年の暮れには閉店しようか、真剣に悩んだほどです(苦笑)。今は400~500円程度で手に入る。安くて質がいいから、幸せです」
と、店主の寺元健治氏。料理長はタイ出身の妻・メッタさんが務め、宮廷料理人だった祖母直伝のレシピを再現。嫁入り道具はレモングラスなどを切り刻む高速カッターだったそう。当時、タイから取り寄せるハーブ類に太刀打ちできる器具は、日本にはなかったという。
全国でカレーを提供する出張料理ユニット『東京カリ~番長』が解説する。
「日本のカレー文化は世界中でも例のない、特異なもの。それは他国と違って、インド料理と出会う前に西洋からカレーがきたからなんです。日本人の舌に合うカレーにしようと工夫している最中に、インド料理が到来した。そのため、日本特有のカレー文化が育まれました」