今年の8月で70歳を迎えたタモリ。全盛期は週7~8本のレギュラー番組に出演していたが、現在は3本に絞って趣味を満喫する日々だという。ヨットもそのひとつで、毎年恒例の『タモリカップ』は今年で7年目となった。
「減る一方のヨット人口を増やしたいから始めたなんて自分ではいってますけど、本音は周りにこき使える若い連中を集めたかったから(笑い)。若い奴らがいなくて困っていたんです。50歳のオジサンに『ビール買ってこい』とはいえんでしょう」
9月11日、場所は横浜のホテルの厨房。翌日のレース後のパーティで振る舞うバーベキューのタレを自ら仕込むのも恒例で、この日は3000人分のタレを調理しながら嬉しそうに笑った。
「九州産のとろみのある醤油とすりおろしたリンゴと玉ねぎをじっくり煮込みます。隠し味に味噌を加えるのがポイントなんです。こればっかりは誰にも任せられませんね」
静岡・沼津港で行なわれた第1回『タモリカップ』に参加したヨットはわずか28艇。しかし、今年は7月の富山大会、8月の福岡大会、9月の横浜大会と3会場で開催した。
「全部合わせると400艇以上ですから、間違いなく日本最大のヨットレースですよ」
だが、『タモリカップ』は「タレント・タモリ」のビジネス活動ではなく、あくまで「タモリである森田一義」が主宰するプライベートのイベントだ。
「規模は大きくなったんですが、残念ながら若い連中はまだ少ないね。厳しい上下関係が嫌で、誰かの下について学ぶという風潮がなくなったんでしょう。大学の山岳部が次々なくなって、冒険部がレジャー部みたいになっている。遊びってのは仕事じゃないんだから、ダラダラしてちゃダメなんですよ。真面目に、厳しく遊ばないとね(笑い)」
今後は、日本を陽気で明るいラテン文化大国にするため、サルサ音楽を広めたいと意気込む。古希にして、なお意気軒高。面白いことを仕掛けようという野心は尽きないのだ。
取材・文■末並俊司 撮影■石塚雅人
※週刊ポスト2015年10月9日号