【書評】『朝鮮王公族──帝国日本の準皇族』新城道彦著/中公新書/840円+税
【評者】与那原恵(ノンフィクションライター)
大正初期に作成された現在の六本木周辺の地図の、宮家や薩摩閥の邸宅が並ぶ鳥居坂の一画に「李王家世子邸」が記載されている。大韓帝国最後の皇太子である李垠(イウン)は十歳で東京留学し、三年後の明治四十三年に韓国併合を迎え、李王家の王世子(跡継ぎ)となった。
韓国併合に際して最大の懸案は、大韓帝国ロイヤルファミリーの処遇であった。天皇は詔書を発し、大韓帝国皇室嫡流を「王族」に、傍流を「公族」として、華族より上の身分を創設する。法的には皇族とみなされなかったが、礼遇上は皇族として扱われた。
昭和二十二年まで存続した朝鮮王公族だが、これまで日韓両国とも本格的な研究はなされておらず、本書は「帝国日本の準皇族」をいきいきと描きだす初の書である。著者は、日韓近代史、植民地統治に対するイメージの転換を迫る。
そもそも、日本はなぜ併合したのか。当時の大韓帝国は経済的危機に瀕しており、併合による日本側の財政的負担増は明らかだった。それを度外視しても支配下に置くメリットは、ロシアなどの脅威を懸念し、国境線を遠くに引いておきたいという国防意識であった。
併合を実施する際に日本が重視したのは、西欧近代の主権国家体制のルールだ。国際社会における日本を意識したのだろう。王称を望んだ大韓帝国に譲歩して条約を締結し、日韓併合は互いの「合意」であるという体裁を整える。
近代日本の皇室制度の整備が進行中の大正五年、李垠と梨本宮方子とが婚約する。これが契機となり朝鮮王公族の法的身分が確定される。この朝鮮人王族と日本人皇族の結婚(大正九年)は、これまで国家による「政略結婚」と認識されてきたが、真相は家の存続を図る梨本宮家が主導した結婚だったことを本書は明らかにする。のちに李夫妻が暮らした邸宅が現在の赤坂プリンスホテル別館である。
著者は、李垠ら朝鮮王公族二十六人の苦悩の人生にも光をあてる。日本へのアンビバレントな感情を抱きつつ、戦後になっても日韓両国で複雑な立場を生きたのだった。
※週刊ポスト2015年10月9日号