胆管がんで亡くなった川島なお美(享年54)。その病気が発覚したのは2013年7月。舞台出演を控えていた彼女は治療より仕事を優先させ、手術に踏み切ったのは発覚から半年後の2014年1月だった。
「川島さんはがんが発覚した時点で“余命1年”と宣告されていたんです」
川島と家族ぐるみの親交があった山田邦子(55才)は川島の死後、テレビの生放送でこう明かした。弔問に訪れた山田に、夫・鎧塚俊彦氏(49才)は、「手術までの半年が悔やまれる。早く病院に行けばよかった」と無念さをにじませたという。
手術前日、川島は夫に宛てた遺書を用意していた。銀行預金の使い道から愛犬の預け先まで、自分の死後の希望を全てまとめ、
《できれば再婚はしないでね。一緒のお墓に入りたいから》
《先に行って、“とりシャン”(とりあえずシャンパン)してるから、後でね》
と、努めて明るく別れを告げていた。術後もこの遺書は残しており、折に触れて読み返すこともあったという。
「遺書には当時の偽りない自分の気持ちを綴ったそうです。“今読み返せるのも生きている証だから”って、とても大切にしていました」(川島の知人)
一時は死を覚悟した彼女だったが、術後も母の前でさえ弱音を吐くことはなかった。
「なお美は“手術したから、もう大丈夫”と余命のことは何も言いませんでした。それからはミュージカルで毎日、忙しくしていましたから。娘の舞台は主人と一緒に西から東まで全部見に行きました。舞台後はファンのかたと元気に握手などしていたので、体調は大丈夫だと信じていたんです」(川島の母)
術後、川島は放射線治療や抗がん剤治療を一切行わず、免疫力を向上させる食事療法や運動を実践していた。
「彼女は抗がん剤などの副作用に苦しむより、痛みを和らげる緩和療法的な治療を模索しました。余命1年という宣告を受け、女優としての仕事と、鎧塚さんとの日常生活を何より優先したかったのでしょう」(前出・川島の知人)
大好きだったワインをやめ、にんじんやりんご、しょうがをすりつぶした自前の野菜ジュースを毎朝飲むという健康的な日々を送ったが、予後は芳しくなかった。
「川島さんのがんは、術後も寛解(がん細胞が消えた状態)していなかったんです。積極的に治療しなかったので徐々にがん細胞が彼女の体を蝕み、食欲が落ちました。表向きは明るく女優業を続けながら、常に患部の痛みや体中のだるさと人知れず闘っていたんです」(前出・川島の知人)
10軒以上の医療機関を訪ね、自分にあった療法を探していた川島が最終的にすがったのは、現代科学とは離れた民間療法だった。
「純金の棒で患部をこすり、気の力で体中の邪気を取り除く療法です。『ごしんじょう療法』と呼ばれ、体内に過剰に溜まった電磁気エネルギーを取り除くのだそうです。川島さんは週2回のペースでこの施術を専門とする都内の治療院に通っていました」(別の川島の知人)
川島の自宅から徒歩圏内のマンションの一室に同院がある。15畳ほどの室内で、部屋の隅には仏像が鎮座している。同院のホームページには、以下の解説が掲載されている。
《生命現象の源である電気現象と化学現象が正しく行われるように、身体における生命エネルギー(電磁気エネルギー)の場を創出的に操作、制御しているのがごしんじょう療法です》
《痛み、アレルギー、がん、パーキンソン氏病、ALS、難病など、さまざまな病に効果をあらわせるのです》
川島は9月14日から舞台『パルレ~洗濯~』の長野公演に臨んだが、その開演前日にも同院を訪れていたという。
※女性セブン2015年10月15日号