終戦直後の苦しい時期、人々を元気づけ楽しませたものは「エロ」だった。GHQも黙認した「カストリ雑誌」の多様で自由な表現は、現代の雑誌にもつながっている。大阪芸術大学大学院芸術研究科長・博物館長の山縣熙氏がレポートする。
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戦後の混乱期、貧困にあえぐ日本の大衆を熱狂させたのがカストリ雑誌である。
カストリ雑誌とは、戦後に出版され1948~1949年に大流行した大衆向け娯楽雑誌の総称。創刊から3号ほどで廃刊となるケースが多く、3合飲めば酔い潰れる粗悪なカストリ酒になぞらえてそう呼ばれた。物資不足の中、古紙を漉き直した粗悪な仙花紙で製本し、多くが1部20~30円で全国各地の書店や露店に並んだ。1945~1946年創刊の『猟奇』『りべらる』を筆頭に全盛期には30種類以上、月200万部以上が発行されたという。
メインの内容はエロだった。各誌は「軟派娯楽雑誌」「日本唯一の性科学画報」などと銘打ち、官能小説や女性の裸体写真の他、「婚前の性知識」「特集・男女の生殖器」など性風俗のトピックスを詰め込んだ。日本の戦前回帰と共産化を怖れたGHQも横溢する「自由な性」は問題視しなかった。
カストリ雑誌が内包するのは戦後の強力な解放感だ。軍国主義的な言論統制により抑圧されたエネルギーが一気に解き放たれ、敗戦と引き替えに「自由」「民主主義」を手にした高揚感に満ちている。
解放感と反権威に彩られたカストリ雑誌の求心力は強く、武者小路実篤、江戸川乱歩、大佛次郎など大家も文章を寄せた。社会評論やグラフィックを取り入れた雑多な内容は今日の週刊誌の走りでもある。
一方で戦後のカストリ雑誌ブームは長く続かず、1949年ごろ終息した。1950年に朝鮮戦争が勃発し、日本は戦争特需から高度成長の道を突き進む。
敗戦後の本当に貧しい数年間、逆境を逞しく生き抜く力を世に与えたカストリ雑誌は、本格的な経済復興を前にその役割を終えたのだった。
●協力/大阪芸術大学名誉教授・籔亨
※SAPIO2015年10月号