今年球団創設80年を迎えた名門・阪神タイガースでは各時代にきら星のごとくスターが生まれた。往年のタイガースは守備の堅さにも定評があった。320勝投手・小山正明氏の証言。
「鉄壁の内野陣に助けられましたね。セカンド・鎌田(実)、ショート・ヨッさん(吉田義男)、サード・三宅(秀史)の守備はシートノックで金がとれるといわれたほど。
この内野手たちはキャッチャーのサインを見て守備位置を変えたために、ヒット性のゴロもさばき、味方も驚くような守備を見せてくれた。僕の精密機械といわれたコントロールと、この守備陣はすごくマッチしていましたね。マウンドにあがると完投、完封しか考えていなかった」
小山氏は同時代のエース、村山実と鎬を削った。
「村山は内野陣に対して、“オレが投げると捕ってくれない”と怒っていたらしい。これは仕方ない面もある。村山は球威で勝てるピッチャーだった分、逆球も多かった。キャッチャーの構えを見て動こうとしても逆球になるため、さすがの内野陣も動くに動けなかったと聞いた」
小山、村山は阪神のエースとして、打倒・巨人に燃えた。小山氏は巨人・王貞治との対戦を懐かしむ。
「巨人は常勝チームだったので、同じ1勝なら弱い国鉄や大洋から稼げばいいという気持ちもあったが、甲子園では巨人戦だけが満員となるため、巨人の連中を見ると闘争心に火がついた。
でもワンちゃん(王貞治)にはよく打たれた。リーグ優勝した1962年は13完封し、僕の現役生活の中では最も球が走っていたシーズンだったが、ワンちゃんには7本も打たれた。1試合3ホーマーもある。
これでもかとインコースに投げ続けたが、ことごとく打ち返されてしまった。そこで僕はワンちゃん用にパームボールを覚えた。パームを投げるようになってからワンちゃんには1本も打たれなかった。あの頃はそうやって巨人のライバルたちに負けないように技術を磨いたものです」
その後、阪神は江夏豊、ジーン・バッキーという名投手も輩出。特に江夏、田淵幸一の若虎バッテリーは、1970年代の阪神ファンを熱狂させた。
※週刊ポスト2015年10月16・23日号