オリックス・バファローズの谷佳知外野手(42)は2000本安打まであと72本に迫りながら、2015年のシーズンをもってユニフォームを脱いだ。1996年、オリックス・ブルーウェーブからドラフト2位指名を受けてプロ入り、巨人、再びオリックスへと移り、二度の五輪でも活躍した谷にとって、忘れられない試合は自分の記録に関わるものではなかった。
「アスリートとして最高のパフォーマンスが見せられなくなった。悔しさはない」
引退会見で晴れやかな笑顔を見せて語った決心の裏には、亮子夫人にかけられた言葉があった。
「8月の終わりに、“もうそろそろだな”と決意しました。家族に告げると“決めるのはパパだから。パパの思い通りにやればいいよ”と言ってもらい、自分の意思で決断できました」
2006年に交換トレードで巨人に移籍。「忘れられない一球」は、2010年4月2日の試合前の練習中にくも膜下出血で倒れた巨人・木村拓也コーチの追悼試合(対広島)でのものだ。
同年4月24日、谷は試合前に「まだ信じられない。信じたくない。今日、ひと区切りをつけなければいけないことは分かっているが、それでも僕には難しいです」と友への思いを口にした。
出番は8回1アウト満塁の場面で回ってきた。代打で登場すると、試合をひっくり返す逆転満塁ホームランを放ってチームを勝利に導き、ヒーローインタビューで号泣した。
「同級生のタクとはいつも励まし合って戦ってきた仲ですから、あの場面で打てて嬉しかった。今回、引退するにあたり、近々彼のお墓に報告に行くつもりです。“引退することになったよ。今まで見守ってくれてありがとう”と伝えようと思います」
忘れられない恩師が、オリックス入団時の監督である故・仰木彬氏である。
「“メンバー表に、谷と書くことが俺の仕事や”と言ってくださったのは嬉しかった。怪我をしても先発メンバーに名を連ねないといけない。そう覚悟したのを覚えています。厳しいけど、優しさもある人でした。仰木監督がいらっしゃったのでここまで頑張ることができました」
今後は野球を勉強しながら、指導者として選手を育てたいと語る。仰木イズムは継承されていく。
●谷佳知(たに・よしとも)/1973年大阪府生まれ。1996年に三菱自動車岡崎からドラフト2位でオリックス・ブルーウェーブに入団。ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回。通算成績は6492打数1928安打、打率.297、打点741、本塁打133本。
※週刊ポスト2015年10月30日号