今年も10月22日に開催されるプロ野球ドラフト会議。過去50年の歴史の中で、歓喜と涙で綴られた運命のドラマが繰り返されてきた。そうした中で、ドラフトでは「選ぶ側」も「選ばれる側」も決意がいるというのは、野球評論家の田尾安志氏だ。田尾氏が自身の体験をもとにドラフト制度について語る。
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僕は同志社大時代の1975年、ドラフト1位で中日から指名されました。当時は予備抽選で指名順位が決まる完全ウェーバー制。当日までどの球団に指名されるか全く予想できない。実際、事前に中日からの挨拶はありませんでした。
個人的には、プロで勝負すると決めた以上どこでも頑張るという覚悟がないとダメだと思います。この球団なら行くけど別の球団なら実業団、という言い草はプロ球団にも実業団にも失礼な話ですよ。
そんな私が楽天の初代監督として「選ぶ側」に回ったのは2004年オフ。栄養費問題(*注)で明大野球部を退部した一場靖弘を自由枠で指名しました。そういう事情がなければ新規参入チームが獲得できる選手じゃなかった。ドラフトにはそういう運がついて回ります。
【*注:栄養費問題/一場が読売巨人軍から200万円を「栄養費」名目で受け取っていたことが判明し、渡邉恒雄氏がオーナーを辞任する事態にまで発展した】
監督やフロントがドラフトまでに得られる情報はほんのわずか。最終的には現場を駆けずり回ってるスカウトを信頼することが大事です。そういう意味ではドラフトは選ぶ側にも決意が必要なんです。
※週刊ポスト2015年10月30日号