プロ野球シーズンが終わりを迎える時期になると、引退する選手の話題がかけめぐる。2015年も多くの名選手が引退した。彼らのプレーは多くの人々に記憶されているが、彼らの心にもまた「忘れられない瞬間」が刻まれていた。横浜DeNAベイスターズの高橋尚成投手(40)にとって、その瞬間とはいつのことだったのか。
「引退を決意したのは今年8月の広島戦です。駒澤大学野球部の後輩の新井(貴浩)に、いとも簡単にスタンドに運ばれた時、“そろそろだな”と。悔しくなかったんです。ここから“這い上がろう”とか“絶対にやってやる”という気持ちも湧いてきませんでした」(高橋、以下「」内同)
その一球は巨人のエース、そしてメジャーリーグでも活躍した高橋が、「打たれるはずがない」と思って投げ込んだストレートだった。
それ以上に忘れられないのが、メジャー挑戦1年目に味わった「屈辱からの生還」を果たした投球だという。
2010年、高橋は「何日も眠れないくらい悩み抜いて」、FA権を行使してニューヨーク・メッツと契約した。しかし、それは屈辱のマイナー契約だった。
「ヤクルトから移籍した五十嵐亮太君(現ソフトバンク)と同時にメッツに入ったのですが、監督は“日本人が2人もいるなんて聞いていない”と、僕のことを見て言うんです。そんなスタートだったので、とにかく見返してやる、という気持ちが強かった。
オープン戦で3イニング投げて、6つの三振を奪った。低めの変化球を見極められずブンブン振るメジャーの選手を見て、笑いが止まらなかった。そこから評価は一変。メジャー昇格のきっかけになったマウンドで、あの日の投球は鮮明に覚えています」
●高橋尚成(たかはし・ひさのり)/1975年東京都生まれ。1999年に東芝からドラフト1位で読売ジャイアンツに入団。2010年にニューヨーク・メッツに移籍。エンゼルス、パイレーツなどを経て、2013年に日本球界復帰。日米通算成績は429試合に登板、93勝85敗25セーブ、防御率3.82。
撮影■藤岡雅樹
※週刊ポスト2015年10月30日号