【書評】『ロンドン日本人村を 作った男 謎の興行師タナカー・ブヒクロサン 1839-94』小山騰著/藤原書店/3600円+税
【評者】川本三郎(評論家)
あまり知られていないことだが、明治十八年(一八八五)、ロンドンに日本人村という、いまふうにいえばテーマパークが作られ大盛況を呼んだ。一月から四月まで二十五万人もの見物客があった。
日本の店が何軒も並び、物を売る。傘職人や竹細工職人が実演を見せる。無論、日本人である。寺まで作られ、僧侶がいる。この日本人村を作ったのはタナカー・ブヒクロサン(一八三九~九四)という興行師。本書はこの人物の波乱の人生を辿っている。
もともとは、フレデリック・ブレックマンというオランダ人。幕末に日本にやってきた。当時の外交で使われた言葉はオランダ語。はじめはイギリスの、次にフランスの公使館に通訳として雇われた。当時の日本と西洋列強との会議や交渉の場にしばしば立会っている。しかし、日本政府がフランスの軍艦を購入しようとした際、購入費を私腹したとされ、外交の世界から姿を消した。
一方―。日本が開国してから海外に出かけてゆく日本人が増えるが、そのなかには軽業師、手品師などの芸人が多くいた。異国趣味が受けて欧米を巡回する一座が現われた。日本のパスポート一号は彼ら芸人だったとは意外。
折りからフランスやイギリスでは、日本の美術や工芸品が「ジャポニズム」(日本趣味)ともてはやされていた。この流行に目をつけた興行師が日本人の一座を組み、海外巡回興行を企てた。タナカー・ブヒクロサン(田中武一九郎)と名乗る。興行師はどこか、いかがわしいところがあるものだが、ブヒクロサンも謎の多い人物。
軽業の興行で成功したあと、ロンドンに日本人村を作った。アイデアマンである。日本人を見世物にしているという批判もあった。しかし、彼は、妻は日本人であり日本文化を愛していると反論した。
著者はこの興行師が、実は幕末に日本に来たブレックマンと同一人物であることを明らかにしてゆく。時代の転換期に現われた愉快な風雲児といえよう。
※週刊ポスト2015年10月30日号