今年で70年の節目を迎えた『NHKのど自慢』。戦後すぐの昭和21年1月19日、ラジオ番組『のど自慢素人音楽会』として始まった。半年前まで戦時下にいた庶民にとってラジオで歌うなど想像もできないだろうと思いきや、予選会には900人以上もの希望者が押し寄せたという。
「ラジオニュースで募集告知をしただけで長蛇の列。当時、ラジオは数少ない娯楽でしたから、庶民の“歌への思い”に火をつけたのでしょう」と同番組チーフ・プロデューサーの矢島良さんは言う。
現在活躍中の芸能人の中にもデビュー前、出場していた人は多い。昭和28年、函館で行われた公開放送に出場したのが高校生だった北島三郎。
「当時大ヒット中の『落葉しぐれ』を歌いましたが鐘2つでがっかり(笑い)。でも司会の宮田輝さんの“いい声でした、お上手でしたよ”という言葉が心にしみ、上京。あの時、鐘3つで合格だったら、地道に努力することもなく、今の自分はなかったかもしれません」(北島)
昭和42年、後にNHK『おかあさんといっしょ』初代歌のお兄さんとして活躍する田中星児も19才で出場した。
「民放ののど自慢にいくつか出たあと満を持して『NHKのど自慢』に出場しました。生放送で大阪の実家の家族に元気な姿を見せられるのも、当時は貴重で嬉しかったですね」(田中)
平成8年、役者を目指しアルバイトに明け暮れていたテツandトモのトモ(石澤智幸)は、「人生最大のチャンスと思って挑戦! 大勢の人の前で歌う悦びを感じました」。
アメリカ人演歌歌手のジェロも、来日し歌手になるきっかけがつかめずにいた平成15年、『夜桜お七』で見事合格の鐘3つ!
「うれしくて飛び跳ねたこと、今も忘れません」(ジェロ)
出場者の歌唱力も、年々向上の一途だという。
「カラオケが身近にある時代ですし、人前で歌うテクニックと喜びを学んだ影響でしょう。今は動画で見て振りも覚えるから表現力も格段にアップしています」(矢島さん)
クマムシの「歌うほう」・長谷川俊輔も平成14年、『硝子の少年』で出場し、結果は鐘2つ。
「高校3年の秋に出場しました。その年の夏に部活の柔道を引退し、いよいよお笑いの道を目指そうと、人前で何か披露したかったんです。それで友人と2人、思い出の柔道着を着て、ダンスを踊りながら歌いました。ゲストの北島三郎さんが“回転がいいよね~、もう1度回ってよ”とコメントしてくれて、会場も大ウケでしたよ」(長谷川)と懐かしむ。
撮影■玉井幹郎
※女性セブン2015年11月5日号