【著者に訊け】原武史さん/『「昭和天皇実録」を読む』/岩波新書/864円
【本の内容】 2014年9月9日に公開された『昭和天皇実録』。1万2000ページを超えるその膨大な書物を、原さんが1週間かけて丹念に読み込み、これまで解らなかった昭和天皇の幼少期から老年に至るまでの生活実態などについて、平易な言葉で説いている。「『実録』を読んで、正直なところ、昭和天皇に対する見方が以前より甘くなりました」(原さん)。
昨年、『昭和天皇実録』が公開され、その膨大な日々の記録に初めて目を通したとき、原さんには驚きがあったという。
「ここまで公開したかという驚きです。公開前は、新事実はあまりないのではなどと言われましたが、御告文や御祭文、つまり天皇が神に捧げた祈りの内容が初めて明らかにされており、まずは戦中から戦後を中心に読んでいきました」
戦争末期の昭和20年7月30日と8月2日、天皇は大分の宇佐神宮と福岡の香椎宮に勅使を派遣、敵国撃破を祈らせていた。
「派遣の事実自体、私は知りませんでした。天皇自身が戦争の早期終結に向けて動いているこの土壇場で、なぜこんなことをやっているんだ、と疑問に思いますよね。これまでの解釈からは説明がつかないことで、天皇の意志とは思えません。これは皇太后の意向なんじゃないか、とぱっと頭に浮かびました」
香椎宮の祭神は、朝鮮との戦いにみずから出陣して勝利した神功皇后(と仲哀天皇)で、この皇后に昭和天皇の母である貞明皇太后は自分を重ねていた。2007年の『昭和天皇』ですでに原さんは天皇と母との確執を指摘しているが、客観的な戦況を理解せず、戦争継続を唱える皇太后の存在は大きな問題だった。
8月15日、高松宮夫妻は御殿場に秩父宮夫妻を訪ね、4人で玉音放送を聞く。帰京した高松宮が翌16日、天皇の意を体して4時間余りかけて事情を説明、皇太后は東京を離れ軽井沢に行くことを受け入れる。
「重要なのは兄弟2人ではなく秩父宮妃、高松宮妃も一緒に会っていることで、妃のほうが皇太后との関係も密なんです。妃の意見を前面に出して皇太后を説得したのでは。17日に、ようやく、皇太后と天皇は会います。ここにも、息づまるドラマがあったんです」
この夏、リメイクされた映画『日本のいちばん長い日』は、ポツダム宣言受諾から玉音放送までの緊迫した刻々を描くが、ぜひ入れてほしかった映画的なエピソードである。
戦後の占領期の天皇の行動で原さんが注目するのは、キリスト教への急接近である。1946年から1950年ぐらいまでの間、昭和天皇は驚くほど頻繁に、カトリック関係者と面会している。
「8月2日まで神に祈り続けたことへの深刻な反省、宗教としての神道への疑いがあったのではないでしょうか。天皇の退位問題はさんざん研究されてきましたが、責任の取り方として、改宗ということも天皇の念頭にあったのではないか。『実録』からは昭和天皇の苦悩の深さが伝わってきました」
(取材・文/佐久間文子)
※女性セブン2015年11月5日号