東大卒業後、日本と欧州でキャリアを積んできた栗崎由子さんは、53歳の時、突然スイスで失業した。スイス人の夫も、裕福な両親もなし。華麗なキャリアの末に立たされた崖っぷち。そこから寿司屋の売り子バイト、家庭教師、にわか通訳と、できることは何でもしてお金を稼ぎ、定職を探す日々が続く。書いた応募レターと履歴書は200通超――。
思いがけない困難に直面して人生観が変わったという栗崎さんは昨年『女・東大卒、異国で失業、50代半ばから生き直し』(パド・ウィメンズ・オフィス)を出版。現在は、スイスと日本を繋ぐ異文化マネジメントコンサルタントビジネスを育てる傍ら、ボランティアで50代女性の再就職支援活動を行っている。いま日本では安倍政権が「女性が輝く社会」を推進しているが、課題は多い。国は異なれど30年の仕事人生を生き抜いてきた栗崎さんに、失業を通して見えてきたこと、そして女性が働くことについて、話を聞いた。
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■弱みだと思っていた「平べったい顔」が、寿司屋では強みに
――NTT(当時・日本電信電話公社)やOECDなど大組織で働いてこられた栗崎さんは2008年にスイスのジュネーブでリストラにあい、失業されました。そこから2年半、職探しの日々が続いたわけですが、その頃を振り返って、改めてどう感じますか。
栗崎:私は失業するまでの30年間、毎朝どこかに出勤して、生真面目に働いてきました。“人生は右肩上がり”となんとなく思っていたんです。でも、そうではなかった(笑)。50歳を過ぎたって、人生には思いがけない落とし穴が待っているんですね。それを身をもって知りました。同時にこの経験は、私にとっての「生き直し」のきっかけにもなりました。
――53歳女性の職探しのご苦労が、本にも書かれています。
栗崎:失業後、当面は、失業給付があったので収入ゼロではありませんでしたが、落ち込んでいる余裕はありません。養ってくれる夫はいませんし、年金暮らしの親を頼るわけにもいかない。そしてジュネーブは世界一物価の高い街。また、30年間サラリーマンを続けてきた私にとって収入ゼロというのは、精神的にも堪えました。それですぐに求職活動を始めたのですが、現実は想像以上に厳しかったですね。
私の専門は情報通信産業の政策や市場の調査なのですが、この分野の需要は少ないんです。それから高学歴で高年齢、つまりコストが高い。スイスの言語であるフランス語もドイツ語も私の母語ではありません。不利な条件ばかりが揃っていて、応募しても応募しても、断られるどころか、大半は返事もないんです。これには参りました。人間、無視されることほどエネルギーを奪われることってないんですね。
――日本に戻るという考えはなかったのでしょうか?
栗崎:それはありませんでした。日本で仕事を見つけるほうがもっと大変だと思いました。というのは失業した時、私は日本を離れて20年経っていたのです。日本でもスイスでも、40歳を過ぎたら、再就職には人脈が大きな力を持ちます。年齢を重ねるほど、採用には“信頼”が大きくかかわってくるからですね。私は、自分には日本にそういう人脈はもう無いと思ったのです。
――2011年に定職に就くまで、様々な仕事をされています。寿司屋のバイトなど、栗崎さんのこれまでのキャリアからは想像できないような仕事も。挫折感はなかったですか。
栗崎:そんな余裕がなかったんです。先ほどお話したように、何通履歴書を送れど、なしのつぶての日々。そんな時にお寿司屋さんが販売する人を探しているよという話を人づてに聞いて、ダメ元で、ご主人に会いに行ったんです。若くてかわいい女のコじゃなくて大丈夫かしらと、心配しながら(笑)。「来週から来てくれ」と言われた時は、嬉しかったですね。「ここに私を必要とする人がいる!」と、思いました。
この仕事で、私は大きな発見をしました。ずっとハンディだと思ってきた「平べったい顔」と「日本語なまりのフランス語」が、お寿司屋さんでは強みになったんですよ。日本人がレジにいると安心感があると。これには目からうろこが落ちましたね。見方を変えれば、弱みは強みになる。そういう発想の転換ができるかどうかが、年齢を重ねてからの職探しには重要なのだと気づきました。この発見以降、自分の専門分野の枠を外して、自分に何ができるかを必死に考え、例えば事務職などにも応募するようになりました。
――とはいえ、年齢を重ねるほど、それまでのキャリアを手放すリスクは高くなると思いますが、その辺りはどうお考えですか?
栗崎:もちろん、過去を否定する必要はありません。私が言う「生き直し」とは、自分の持っている資源の使い直し、あるいは、組み替えです。その時、気を付けなければいけないのが、自分のやりたいことばかりを言っていてはダメだということ。仕事とは「自分がしたいことではなく、相手が自分にしてほしいこと」。これは友人に教えられた言葉ですが、初めてこうした視点を持てたことでが、再就職につながったのだと思っています。
もともと私にはキャリア・ディベロップメントという発想はなかったんです。何か確固たるキャリアを築こうと働いてきたわけではなくて、自分の夢を実現するために、目の前のことに日々地道に取り組んできただけ。スティーブ・ジョブズの言う「点と点をつなぐ」のが私のやり方だし、それしかできませんでした。だから人生に無駄なことなど一つもないと思っています。大事なのはとにかく行動すること。自分の頭の中より外のほうが、世界は広いのだといつも気づかされます。当たり前なんだけど、ついつい頭でっかちになってしまうんですね。
――「負の言葉には耳を塞ぐ」など、落ち込んだときの対処法は参考になります。
栗崎:「あなたは年齢が高いから大変でしょう」「学歴が高いから、見合った仕事は見つからないでしょう」などと言われたこともあります。言った人に悪意はなかったのかもしれませんが、ネガティブワードはそれだけで人のエネルギーを奪うんですね。ですからこうした言葉にはすべて耳を塞ぎました。ピンチのときこそ、本当に自分を助けてくれる人が誰かがわかります。それは、同情や評論ではなく、一つでもヒントをくれる人。一人でも誰か紹介してくれる人。人を助けるというのはどういうことか、身に染みてわかりました。