安倍首相はこれまでのリーダーと比べ、中国に対して毅然とした姿勢を貫いている。しかし、習近平国家主席は、長きにわたる日本外交の軟弱さゆえに舐めきっているのか、横暴な態度を改めようとしない。
その「軟弱外交」の原点が、田中角栄元首相の「日中国交正常化」にあるとの批判がある。だが、中国との国交正常化交渉の現場では、現代の政治家が学ぶべき田中の「ケンカ外交」が展開されていたことを忘れてはならない。
拓殖大学海外事情研究所准教授の丹羽文生氏が解説する。
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1972年7月5日の自民党総裁選挙で勝利して首班指名を受けた田中角栄は、外務大臣に大平正芳を指名し、外交政策の柱に日中国交正常化を据えた。先遣隊として中国入りした竹入義勝・公明党委員長は中国側から「日米安保堅持」「賠償請求権の放棄」など好条件を提示され(竹入メモ)、いよいよ田中は訪中を決意する。
中国側が田中を相手に前向きになった背景には、中ソ対立があった。中国はソ連の軍事的脅威に対抗するため、米国、日本との関係改善を求めていた。
1972年9月25日、田中らは羽田から日航特別機で旅立った。機内で外務省の随行員らに「もう君たちに任す」「手ぶらで帰るのもちっとも構わんよ」と田中は語ったという。困難が予想される日中交渉を前に、随行員らを鼓舞するための発言だったのだろう。
第一回首脳会談の後、歓迎夕食会で事件は起きた。中国の周恩来首相に続いて演壇に上がった田中が、「中国国民に多大なご迷惑をおかけした」と述べると、会場がどよめいた。日本側は気にも留めなかったが、「ご迷惑」の使い方が日本と中国では異なり、言葉が軽すぎるとして、周恩来の逆鱗に触れたのだ。