「国のため/ひとよつらぬき/尽くしたる/きみまた去りぬ/さびしと思う」
これは昭和天皇が出光興産創業者・出光佐三の追悼に寄せた歌である。日本人としての誇りを忘れず、外国と渡り合い石油と自信を国民に取り戻した出光の「外交」とはどのようなものだったのか。作家の水木楊氏が解説する。
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敗戦後の占領下では、石油の元売り業者は石油の取り扱いを許可されたものの軒並み欧米の国際石油資本(石油メジャー)との不利な提携を強いられ、それを受け入れざるをえない状況だった。その中でも出光興産はそれを拒み自立を貫いた。
出光は1951年に建造された自前の巨大タンカー・日章丸(二世)を駆って石油メジャーの目をかいくぐり、各地でゲリラ的に石油製品を買い付けては日本に輸入し、より安値で販売した。
民族資本の雄として既得権益に対抗する出光の胸中には、主権回復後もなお独自の石油政策を持てない日本への憂いが渦巻いていた。そんな状況を自ら打開するために立てた計画が、イラン石油の買いつけだった。
イランとの取引に成功すれば、国民に安価な石油を提供できる。石油メジャーに牛耳られた現状から、出光のモットーである消費者本位の石油政策への転換を促せる。そしてそれは、戦後日本の復興のためにはなくてはならないことだと出光は感じていた。