11月15日、阿藤快さん(享年69)が亡くなった。突然連絡の取れなくなった阿藤さんを心配したスタッフと家族が自宅マンションを訪れると、ベッドの中で眠るように倒れていたという。死因は大動脈破裂胸腔内出血。14日に69才の誕生日を迎えたばかりだった。
「奥さんとお子さんは別宅で暮らしており、誰も異変に気づかなかったそうです。健康には気を配るかたで、食事は魚中心、カルシウムやビタミンのサプリを毎日のんで、ここ数年は腸内洗浄もやっていたそうです。そんな人だったからこそ、突然の悲劇に周囲は衝撃を受けています。ただ、苦しんだ様子はなく、安らかな死顔だったことが家族にとっては救いだったようです」(全国紙記者)
大学卒業後、弁護士の夢破れて俳優座に入った阿藤さん。1988年に出演したテレビドラマ『教師びんびん物語』(フジテレビ系)でブレークし、以後、ドラマ、映画と数多の作品に出演。『ぶらり途中下車の旅』(日本テレビ系)など旅番組でも人気を博し、グルメリポーターとしても活躍した。
今クールのドラマ『下町ロケット』(TBS系)にも弁護士役で出演しており、訃報を受けて、主演の阿部寛(51才)から追悼コメントが出された。
《大先輩なのにお茶目で謙虚で誰にも親しまれた方でした。難しい科学用語の台詞に苦労された時『すみません』と照れ臭そうに仰っていた笑顔が忘れられません》
阿部のコメントにもあるように、どの現場でも腰が低く、笑顔を絶やさない優しい人柄で、みなに愛されていた。映画関係者が語る。
「あの高倉健さん(享年83)も阿藤さんが大好きでね。1977年にテレビドラマ『あにき』で共演してからは、“快ちゃん、快ちゃん”って言って、よく一緒にご飯に行っていましたよ。阿藤さんは健さんのことを“アニキ”って呼ぶんで、端から見るとヤクザの親分子分みたいでした(笑い)」
女性セブンは2004年、そんな健さんを相手にした“武勇伝”を阿藤さんから聞いていた。健さんの主演映画『動乱』(1980年公開)で共演した時のこと。
「北海道ロケでさ。夜ホテルでスタッフみんなと飲んでいる時に、健さんが何か冗談言うんだよ。それがまたつまらないんで、“しょうがねぇ~な~アニキ~”とか言って、ふざけてエルボー(肘鉄砲)したのよ。そしたら思いっきり顔面に入っちゃって。みんなビックリして固まってたけど、健さんは“快ちゃん痛いよぉ”なんて言って、全然気にしてないんだ。健さんにエルボー喰らわせた俳優なんて、他にいないだろうね(笑い)」
天国でふたり、酒を飲み交わしているに違いない。
※女性セブン2015年12月3日号