川島なお美さんや北斗晶さんなど、「がん」のニュースに接するたびに、本人やご家族の悲しみに思いを寄せて胸が潰れる思いがする。そして、もしかしたら私もいつか…という不安や疑念に襲われる人も多いのではないか。
実際、がんは決して他人事ではない。誤解を恐れずに言えば、いつ誰がなってもおかしくないほど身近な病気だ。だからこそ、健康なうちに知っておきたい。30才のときにがんの告知を受けた原千晶さん(41才)に、がんの告知や闘病について聞いた。
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最初のがんがわかったのは、30才の時でした。オリモノ異常、不正出血、お腹の痛みが何か月か続いたので、かかりつけのレディースクリニックを受診しました。しかし、その段階ではがんかどうかはわからないということで、大学病院で円錐切除手術を受けました。その病理検査の結果、がんだとわかったんです。
告知を受けた時は本当に青天の霹靂でした。医師には「この間手術で取った部分はがんでした」とストレートに言われました。母と2人で聞いたのですが、「えっ? 何?」「自分のこと?」という感じで本当に頭が真っ白になりました。子宮を全部摘出したほうがいいという話がメインで、そのことが本当にショックでしたね。
言葉が出るより先にボロボロ泣きました。しばらく泣いた後に「もう子供は産めなくなるんですか?」と質問し、「そういうことになるね」というやり取りをしたと記憶しています。
両親から「命のほうが大事だ」と手術をすすめられたこともあり、1週間後に「手術します」と医師に告げました。全然納得できていなかったけど、もう決めなきゃダメだと思って。
手術はその1か月後の予定でした。その間も気持ちの整理なんて全然つかなくて、悩みに悩みました。全摘手術というのは再発転移を防ぐための予防的な見地で、そのことにも納得がいかなかった。まだ結婚もしてなくて、出産にも希望を持っていたので…。結局、手術をキャンセルし、温存手術をお願いしました。それが自分で出した結論だったんです。今振り返っても、あの時はそう決断するしかなかったと思っています。
その4年後に今度は子宮体がんの告知を受け、手術の後に抗がん剤治療を6クール、実質4か月ほど受けました。副作用は排泄障害、顔のむくみ、肥満、手足の強烈なしびれなどですが、外見的な変化による精神的ダメージは大きかったですね。
後悔しているのは、温存治療の後、きちんと検診を受けなかったことです。がんから逃げて、でも、逃げきれずに再度またなってしまった。無知で、無用な恐怖心があったからだと思います。
婦人科系のがんは若年化していて、30代、40代がピークになっています。まだなっていない人には、「なるかもしれない」ということを大前提にして、いい意味で身構えておくことが大事だと言いたいですね。
※女性セブン2015年12月10日号