NHK朝の連続テレビ小説『あさが来た』は11月20日放送回で視聴率25.0%を記録するなど大ヒットとなっているが、ヒロインの夫には妾がいた史実から、「妾を描くべきか」が視聴者の間で論争になっている。
そもそも妾制度の歴史は古く、飛鳥時代の701年に制定された日本最古の法典である大宝律令は遺産相続の順番として、嫡子、正妻、庶子(正妻以外の子供)、妾と定めていたとされる。時代が移り変わっても“正妻以外の女性”は公然と認められた存在だった。ちなみに、明治天皇、大正天皇は正妻ではなく側室の子だった。
側室と妾は意味は大きく変わらず、皇族や武家など身分の高い人の「妾」は「側室」と呼ばれていた。
ただし、両者は「居住スタイル」が異なっていたと説明するのは歴史研究家の河合敦氏だ。
「皇族や武家が同じ屋敷内に側室を住まわせる一方、妾は正妻と同じ家でなく、別の屋敷に囲われることが一般的だった」
その実態は、現代における「愛人」とは大きな違いがあった。
「正妻に子供ができなかった場合、妾は家の跡取りとなる男児を産む役割があった。そのため、正妻も妾を容認していた」(同前)
また妾を囲うことは「経済上のステイタス」だったと話すのは風俗史家の井上章一氏だ。
「昔は妾がいる男には甲斐性があるとされた。特に商人は妾の存在が店の信用につながり、妾を手放すと“妾を養えないほど店の経営が傾いた”と思われたのです」
岩崎弥太郎や渋沢栄一といった明治の大実業家は妾を持っていた。時代背景を考えれば、作中で妾を持たない新次郎(玉木宏)に“加野屋は大丈夫なのか?”という声が周りからあがってもおかしくないのだ。
現代の感覚で、“女性に囲まれて暮らすなんて羨ましい”と思ったら大間違い。実際には大変なことだった。
「現代でも愛人にいくらかの金銭を渡すのでしょうが、当時の妾はお小遣い程度では済まない。男が衣食住の生活費に加えて給金まで払うこともあった。妾が住む家も男が準備するのが当たり前で、妾を持つのは豪商や上流階級に限られました」(前出・河合氏)
※週刊ポスト2015年12月11日号