人生には忘れることのできない存在が必ずいる。今の自分を作ってくれた恩師の姿は、温かな記憶とともに甦る。ジャーナリストの大谷昭宏氏(70)が、「黒さん」と呼んで慕った恩師について語る。
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今年大きな話題となった安全保障法案関連の取材をしていた時も、ジャーナリズムの世界における黒田清さん、本田靖春さん、筑紫哲也さんの3人の存在がいかに大きかったかを痛感しました。私たちの力不足もあるのでしょうが、3人が生きていてくれたらもう少しまともな論陣を張ることができたんじゃないかとね。
中でも黒さんには特別な思いがあります。黒さんと出会って、いい意味でも悪い意味でも私の記者人生は変わった。あの人が会社とケンカを始めなければ、私ももう少し読売新聞内部で出世していたかもしれない。ジャイアンツのGMとかね(苦笑)。あれが良かったのか悪かったのかわからないが、黒さんと行動を共にしたことで面白い人生になったことは間違いないけどね。
読売では黒さんも私も社会部しか経験がありません。私が徳島支局から大阪本社の社会部に上がった年に、黒さんが最年少の社会部デスクになった。そして「黒田軍団」と呼ばれるようになった。
軍団といっても、新聞記者は落語家のように師匠から弟子が芸を学ぶものではなく、こっちが勝手にいいところを盗むという関係にありました。黒さんはジャーナリストとして、文章の巧さでは日本で五指に入る名文家だった。その黒さんと朝刊社会面のコラム『窓』を2人で書いていたので、そこはしっかりと盗ませてもらいました。