多くの人々が漫画界の“妖怪”の死を悼んでいる。不世出の漫画家・水木しげる氏(享年93)は、描くキャラクターだけでなく、自身もまたユニークだった。かつて本誌のインタビューで「気ままで自分本位に生きる水木サンのルール」があることを明かしていたが、そのルールに多くの人々が翻弄された。漫画雑誌『ガロ』で『星をつかみそこねる男』などを担当したエッセイストの南伸坊氏は言う。
「先生に新人の作品を批評する審査員をお願いしたことがありました。先生の事務所に集まって、いざ始めようとすると、先生はスッと立ち上がって……。トイレにでも行ったのかなと思ったんですが、なかなか帰ってこない。それで事務所の方に聞いたら“散歩に出かけました”って。しかも“散歩に行くとしばらく帰ってこないですよ”と。諦めて、自分たちだけで審査をしたことがありました」
健康維持にも独自のルールがあった。今年5月まで『ビッグコミック』で連載された『わたしの日々』(小学館)の担当編集者・西村直純氏が振り返る。
「先生は眠るとか、食べるとか、住むとか、人間の基本の部分を大事にされていました」
これは幼少期からで、水木少年は絵を描くことはもちろん、虫、石、魚の死骸、新聞の題字の蒐集・整理・観察といった数多くの趣味を持っていたため、寝坊はしょっちゅう。しかも寝坊しているにもかかわらず、朝食はキチンと食べてから学校へ向かうため、いつも2時限目からの登校だったという。
戦時中、軍隊に行ってからも、そのスタイルは変わらず、厳しい規律の中、水木氏だけは寝坊してビンタの嵐を浴びた。
〈眠りを軽蔑したり虐めたりするのはいかんです。(中略)寝ることは一番ですよ〉