9月に胆管がんで亡くなった川島なお美さんの手記が出版された。生前綴られたその闘病記には、「絶対に自分で治す」という強い覚悟が焼きついていた。がんの告知から2年。膨大な書物でがんを学び、セカンドオピニオンに東奔西走し、夫への愛と感謝を持って最後まで諦めずに生きた「女優・川島なお美」の素顔がそこにあった──。
『カーテンコール』(新潮社)と題されたその手記には、2013年8月に胆管がんを告知されて以降の闘病生活が克明に記されていた。
それまでの人間ドックの結果は健康そのもの。予兆もなく、突然の医師の宣告に川島は取り乱した。
《頭は真っ白、心臓はバクバク、手は震え、ドクターの声は次第に遠ざかる(中略)。なぜ自分が? なぜそこの部位に? そんなに強くないお酒を、長年にわたって嗜んできたから? 仕事が過密すぎたから?》(『カーテンコール』より。以下《》内は同じ)
腫瘍が良性であるわずかな可能性を信じて、川島はハワイに飛んだ。当たると評判の現地霊能者に占ってもらった結果、腫瘍は良性だとお墨付きをもらう。
帰国後、ドイツ製の機械を使って生命エネルギーを測定する『波動テスト』を受けたところ、《何度テストしても、胆管にできた腫瘍はがんではない、という診断でした》。
精密検査の結果、悪性腫瘍であることが確定した川島だが、手術は拒否した。
「舞台を控える川島さんは、体にメスを入れることだけはできなかったんです。“自分で作った腫瘍は自分で治す”と言って、東洋医学や代謝療法に関する本を大量に読んでいました」(川島の知人)
元来スピリチュアル信仰に篤い川島は、現代医学から離れ、純金の棒で全身をこすって邪気を払う『ごしんじょう療法』に救いを求めた。
『がん放置療法』にも感銘を受け、反手術・反化学治療の立場を強める川島だが、そんな彼女を夫・鎧塚俊彦氏はいさめた。
「西洋医学を一方的に否定する態度を見かねて、“幅広く反対側の意見も聞かなきゃダメだ!”と説得したそうです」(川島の知人)
しぶしぶ納得した川島は以後、カルテを持参し、セカンドオピニオンを求め歩いた。
《まるでドクターとのお見合いに奔走しているかのようでした。命を預けられる人を見つけるのは、生涯の伴侶に出会うくらい大切なことです》
※女性セブン2015年12月24日号