20年前の3月、地下鉄にサリンを撒いた集団は、同じ年の5月、都庁に爆弾を送りつけた。爆弾製造のための薬品を運んだ罪に問われたのは、“走る爆弾娘”の異名を持っていた元信者の44才女性。17年の逃亡生活を経た彼女に下された判決は、「無罪」。一体、なぜ──。
「菊地直子、逆転無罪」の速報に動揺したのは、司法記者や傍聴人だけではない。私たち一般人にも、ざわめきが広がった。都内在住の40代の主婦は、驚きを隠せない。
「指名手配されて逃亡していた人が無罪っていうことはとても信じられません。あんなにひどいことをして、多くの被害者が出た組織にいたんですよ。それで無罪ってことがあるんですか?」
その理由について、検事時代にオウム信者を取り調べた経験を持つ落合洋司弁護士が解説する。
「オウム真理教のなかにはランクがあり、重要な仕事をしていた人と末端の人に分かれます。菊地は、どちらかといえば下っ端で、物を運べと言われて運んだだけ、という結論です。裁判では、“人を殺すとわかって薬品を運んだかどうか”が焦点になっていましたが、本人は知らなかったと否認し続けていた。“わかっていて運んだ”ということが立証されず、無罪になったのでしょう」
一審では、元信者で地下鉄サリン事件など一連の事件にかかわり、小包爆弾事件の首謀者とされる井上嘉浩死刑囚が証言台に立ち、菊地が事件の重要性などをわかっていたと証言していた。
「無罪の理由を簡潔に言えば、“菊地は何もわかっていなかった”それに尽きる。井上の証言は高裁で、事件から20年経って他の人の証言が曖昧ななかで、井上の証言のみ“不自然に詳細で具体的”で “疑いが残る”と判断された。また、一審には裁判員制度が導入されていて、今回それが覆ったことで“裁判員裁判に意味がない”とか“裁判所は裁判員を信用していない”という声があがっています。しかし、一審だって裁判員だけで判決を下したわけではなく、裁判官も入っている。より慎重な見方をしたまでで、一審が裁判員裁判でなくても同じ結果になった可能性は十分あります」(前出・司法記者)
一方、同じ一審で、元信者の中川智正死刑囚は「菊地には化学の知識がないし、わかっていない」と証言。二審ではそちらに判断が傾いたといえる。
「もちろん、菊地にも“何かやばいものを運んでいる”くらいの認識はあったのかもしれない。でもそれでは足りません。“殺人に使われるものを運んでいると、うすうす知ってやっていた”ということが証明できないと有罪にならない。そこまで立証するのは、オウム事件に限らず難しいことです」(落合弁護士)
※女性セブン2015年12月24日号