来年には衆参W選挙が行われるとの噂も飛び交っているが、選挙で何度も日本中を賑わせたのが「羽柴秀吉」氏(本名・三上誠三。享年65)だ。選挙結果は0勝15敗。「泡沫候補」とも呼ばれた彼は、なぜ選挙に出続けたのか。その知られざる人生を振り返る。
選挙のたびに日本各地で立候補。金箔を食べるなどのド派手なパフォーマンスでメディアを騒がせた。本職は、温泉旅館や建設会社を経営する「羽柴企業グループ」の社主だ。27歳にして青森県の高額納税者番付に載るなど、まさに一世一代で財を築き上げた叩き上げの実業家である。そんな彼は、何故政治家を志したのか──。
羽柴氏は1949年、青森県金木町(現・五所川原市)の米農家に6番目の子供として生まれた。次男の三上大和氏によれば、家は貧しく、家庭環境は複雑だった(以下「」内は三上氏の発言)。
「父・誠三には上に5人の異母兄弟がいます。祖父が前妻と死別し、迎えた後妻の初めての子供だったのです。そのため父は曾祖母には可愛がってもらえず特にお金には苦労したようです。そんな背景があって、父は小学校3年生の時に早くも商売を始めました。
母親に『お前は将来、ひとりぼっちで生きていかねばなるめえ。ゼニだけはいっぺえ儲けるようになってけろ』といわれたからです。その頃はドジョウを獲って売り、そのお金で学用品などを買っていたそうです」
中学を卒業すると地元の製材工場に就職。その後、左官の助手や出稼ぎを経て、21歳の時にダンプの運転免許を取得した。生コン業者に砂利や砂を運ぶ運送会社を創業すると、幼い頃から商売をしていたことが功を奏したのか、24歳にして7台のダンプを所有するまで会社を大きくした。そして事業を順調に拡大し金銭的な不安が払拭された1976年、27歳の時に本名の「三上誠三」で金木町長選に立候補。これが初めての選挙への挑戦だった。
「青函トンネルの土砂運搬の仕事を、他社の談合を破って獲ってきた頃でした。地元から閉め出しを食らったんです。当時はまだ有力議員とつるんで仕事を回してもらうような風習が強く残っていたため、利権にすがる人たちにとって煙たがられる存在だったのでしょう。父はそれをきっかけに『腐ったしがらみをぶっ潰す』と思うようになり、政治家を目指したそうです」
そんな羽柴氏が政治家として尊敬してやまなかったのが、田中角栄元首相だ。