夫婦別姓を認めない民法の規定について合憲とする最高裁の判決が出た。これを受けて、別姓賛成派・反対派の応酬がネットで起きた。コラムニスト・オバタカズユキ氏が考える。
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夫婦別姓を認めていない民法の規定について、先日、最高裁判所大法廷が「いずれの姓を名乗るかは夫婦の協議に委ねており、規定には男女の形式的な不平等はなく、憲法違反とはいえない」という初の合憲判断を示した。ただし、希望者が個々の姓を名乗ることができる選択的夫婦別姓制度にも一定の合理性を認め、「どのような制度にすべきかは、社会の受け止め方を踏まえ、国会で論じられ判断されるべきだ」と付け加えた。
要するに、もっと国民的議論を重ねなさいと言ってお茶を濁したわけだ。最高裁の本意は知らぬが、私は「ハンパなこと言ってくれるなあ」と思った。これを受けて夫婦別姓の推進派と反対派がまたぞろ舌戦を活発化させる。反射的にそうイメージして、嫌気がさしたのである。
「性差別だ!」と金切り声をあげる日本人と、「我が国の文化・伝統を守れ!」と語気を荒げる日本人の言い争い。キーッとなる両極の人たちはやる気満々かもしれない。だが、その他大勢の日本人はどうか。この問題は、何十年も同じ対立図式で議論が繰り返されてきた。論点は出尽くしており、少なくとも私はすでにうんざりだ。
はっきり言って、どっちに転ぼうがたいした問題が起きる話でもない。議論を続ける余力があるのなら、高齢化と人口減少によるこの国の劣化の阻止に日本中の知恵とエネルギーを注ぐべきである。だから、不毛な言い争いは早く終わらせてくれ、という願いをこめて以下を述べたい。
この問題に対する私自身の意見は、結婚後の姓をどうしたいかは人それぞれ違って当然、というものだ。よって、選択的夫婦別姓制度をさっさと導入すべきと考える。べつに夫婦同姓の廃止運動が起きているわけではないのだから、別姓にしたい夫婦がそうできるようにすればいいのである。
けれども、反対派は頑なだ。そんなに「我が国の文化・伝統を守れ!」と言いたいなら、平民が姓を持たなかった江戸時代以前に戻りましょう、あるいは、妻の氏は実家のものを用いよと国が「夫婦別氏」を指令していた明治時代中期に再設定し直しましょう、と皮肉りたくなるが、真面目な話、どうしてそこまで夫婦別姓を嫌うのだろうか。
反対派は、「姓が違えば、家族や夫婦の絆が失われる」と危機感を募らせる。だけれど、日本以外の多くの国は夫婦別姓や旧姓を同姓にくっつける結合姓の制度を採用している。で、そうしたドイツやフランスや中国や韓国ほかの夫婦と家族が日本と比べてバラバラか。そんなことはないはずだ。
それに、もし別姓のせいで家族や夫婦の絆が失われてしまったとしたら、その家族や夫婦の仲はたかだか姓が違うだけで壊れてしまう程度のものだったということだ。一般的に、離婚は夫婦にも子供にも大きな打撃を与える。さほどにか細い絆の夫婦ならば、子供ができる前に別れたほうがいい。当人たちにとっても、国にとっても、だ。