キム・ギドクはこの10年ほどの間、海外の有力映画賞を軒並みさらった。『サマリア』(2004年)がベルリンで銀熊賞を、『うつせみ』(2004年)がヴェネチアで銀獅子賞を取った。『アリラン』(2011年)はカンヌで「ある視点賞」。そして『嘆きのピエタ』(2012年)がヴェネチアで金獅子賞を受賞した。ここまで世界を席巻している東アジアの映画人は、台湾の侯孝賢、中国の賈樟柯ぐらいだろう。日本では黒澤、小津以来出ていない。
──韓国でもそうかも知れませんが、日本も世界でも、監督の作品を熱狂的に支持する人々がいます。
「『殺されたミンジュ』を日本で配給すると聞き、損をさせるだろうと心配になりました(笑)。基本的に日本も韓国も観客に違いはありません。違いがあるとすれば、映画そのものとして日本の観客は受け入れてくれる。韓国の状況をふまえるのではなく、ある意味、客観的に映画そのものを支持してくれている。それは幸せなことだと思います。私の映画は1千万人の映画人口がいる韓国で観客動員が100万人を超えた映画はありません。でも、絶対的に支持してくれるファンが、韓国にも、日本にも、フランスにもいてくれます。映画ほど、国境のない表現方法はないと思います」
──最後に、監督はしばしば来日されていますが、日本社会の現状をどう分析していますか。
「何度も日本にきていて、昨年は日本で撮影もしたし、東京の路地などいろいろ見てまわって時間を過ごしました。日本社会の状況が厳しくなっているのは間違いないと思います。萎縮した人々の心理をすごく感じます。日本でも何年も前から、引きこもりが社会問題になっていますが、韓国も急速にそういう現象が起きている。政治家が経済さえよくなればすべて解決するかのように声高に叫んでいるところは日本も韓国も同じです。国家のある政策に対して反対の意見を出しても押しつぶされてしまうところも似ています。安保法案の反対運動は日本の歴史上まれな規模のデモでしたが、もっと多くの議論があってもいいと思えるのに、封じ込められている。その雰囲気は韓国とも似通っていると感じます」
鋭い眼光。古びたTシャツ。無造作にまとめたヘア。しかし、語る口調は、肩すかしと感じるほど、優しく穏やか。伝わってくるのは、その覚悟だ。キム・ギドクはその生の限り「映画」という表現で、社会や国家に挑み続けるだろう。その作品を通して、彼の闘いを見届けられる我々は、幸運である。(文中敬称略)
【プロフィール】キム・ギドク/1960年、慶尚北道・奉化生まれ。脚本家としてキャリアをスタートした後、1996年『鰐~ワニ~』で監督デビュー。2004年『サマリア』でベルリン国際映画祭銀熊賞、同年『うつせみ』でヴェネチア国際映画祭銀獅子賞、2011年『アリラン』がカンヌ国際映画祭ある視点賞を受賞。