中国のファーストレディ、習近平国家主席夫人の彭麗媛さんは山東省の片田舎の村で役人の父と地元の劇団員の母の間に生まれ、土と泥でできた小さな粗末な家に妹を含めた親子4人で住む貧困家庭に育っていたと報じられた。文化大革命(1966~1976年)期には、知識分子だった父は迫害され、村のトイレ掃除を強要されていたという。
香港の英字紙「サウスチャイナ・モーニング・ポスト」が彭さんの生まれ故郷を現地取材して伝えた。
彭さんが生まれたのは1962年で、「牡丹の花の故郷」といわれる山東省ウン城県彭村。父は村の文化会館の館長、母は地元の劇団員で、彭さんも幼いころから母について歌の練習をしていたという。
幼少期は貧しいながらも夫婦の仲もむつまじい幸せな家庭だったが、文革によって、父は知識分子として批判を受け、母親も辛い思いをしたという。村ではトウモロコシと小麦くらいしかとれず、彭さんはまだ小学校にあがる前から洗濯などの家事の手伝いをして、ひもじい生活に耐えていた。
ようやく文革が終わると、彭さんは母親の才能を受け継いでいたのか、中学校での歌唱力の高さを見込まれ、16歳で山東省芸術学院附属専門学校への進学の道が開かれ、当時の有名な声楽教育家に師事し、本格的な歌唱指導を受けることになる。
これによって、才能を開花させた彭さんは1980年、同校を卒業後、入隊することが非常に難しい人民解放軍済南軍区前衛歌舞団に入団し、人民解放軍の専属歌手として活躍することになる。1980年代には『在希望的田野上(希望の野原に立って)』という歌が大ヒットし、日本の紅白歌合戦に相当する大みそかの歌番組で20年以上もトリを務めるなど、「中国の歌姫」の名前をほしいままにする。
その後、当時はまだアモイ市副市長だった習近平氏と知り合い結婚、いまやファーストレディとなっているのは周知のとおり。
ただ、村の幹部は「党中央から彭麗媛さんことについて、『メディアの取材には応じてはならない。彭さんの少女時代や家族のことも話してはならない』とクギを刺されているので、取材には応じられない」と取材を拒否した。このため、同紙記者は村中を歩き回り、彭さんの小学校の同級生や親戚らを探して取材を重ねたという。