猿岩石時代、『進め!電波少年』(日本テレビ系)で有吉弘行と共に大ブレイクした森脇和成(41才)。帰国後に発売した曲『白い雲のように』がミリオンセラーとなり、アイドルのような人気ぶりだったが、2004年に芸能界を引退。11年間サラリーマンとしてすごし、昨年、芸能界に戻ってきた。会社員時代の苦労、そして元相方・有吉との関係などについて聞いた。
――サラリーマン時代はどんな仕事をしていたんですか?
森脇:一番長いのは輸入卸の会社で5年、勤めていました。あとは派遣の仕事も。輸入卸の会社では、時計、バック、財布などのブランド品を販売する営業をやっていました。
――サラリーマン時代、つらかったことはなんですか?
森脇:それまでの人生で、そんなに落ち込むことはなかったんです。たいした成功もしてないんですけど、壁にぶち当たる感はなかったんです。でもサラリーマンをやった時は、こんなにもできないかと思って。器用になんでもこなせる自信がどこかにあって、その鼻をへし折られたというか。
厳しい社会なので、成績にすぐに表れるじゃないですか。営業なので、売り上げの数字がありますし、飛び込み営業に行ったら門前払い。営業のかたは皆さん経験されていると思いますけど、へこみますよね。舞台で滑った時とはまた違う感じです。
――輸入卸では、売り上げ成績が最下位で、いつも現実逃避していたそうですね。
森脇:オフの日は家にこもって、ずっとDVDを見ていました。日本の作品を見ると私生活につながって楽しめないので、海外ドラマしか見られないんですよ。しかも、スパイものとか超常現象とか、非日常の設定を好んで見ていました。現実社会から少しでも遠ざかりたかったんです。
――そんな毎日を送っているのもあって、芸能界復帰を決意した?