立ち入り禁止区域の入り口には、「火山ガス発生中 山中立ち入り禁止」の立て看板、うっすらと白と灰色の噴煙が上がり、ムッとするような硫黄のにおいが立ち込める。厳重に張られたフェンスの前には、仁王立ちした2人の警備員。昨年6月に警戒レベルが3まで上がり、入山規制がかかった神奈川県の箱根山・大涌谷周辺は、警戒レベルが1まで引き下げられた昨年12月下旬も、物々しい雰囲気だった。
「ある会社は、社員を全員解雇したらしい。これから先、立ち入り禁止が解けて店が再開しても、社員としての再雇用はしない予定だって。元社員たちは泣いています。つらい話です」(地元のタクシー運転手)
マラソンとは異なり、「たすきをつなぐ」スポーツ、駅伝は日本発祥で、私たちの文化になじみが深い。そして数ある駅伝大会の中でも、箱根駅伝は特別な大会だ。
箱根駅伝の魅力にハマってしまい、その風景を自分の目でたしかめたいと、全区間を歩き、『箱根駅伝を歩く』(平凡社)を書いたコラムニストの泉麻人さんが言う。
「きっかけはお正月のバラエティー番組に飽きて始めたこと。テレビ生中継が始まった直後の1989年頃です。都会を出て、山も海も、由緒ある街道も、そうした風光明媚な景色が広がるのが他の大会との違いです。権太坂とか遊行寺とかコース特有の名所も多い。そんな地理性に惹かれて箱根駅伝のファンになりました。また、箱根という土地や、コースから富士山が見えることもお正月には合ったイメージで、1泊2日の小旅行を疑似体験した気分になれる」
1968年のメキシコシティ五輪、1972年のミュンヘン五輪、1976年モントリオール五輪に出場した宇佐美彰朗さんは、1964年、日本大学の4区走者として、箱根駅伝デビューした。
「決まったときは思わず、“替えてくれ”と思うくらい緊張してました。でも、箱根駅伝はとても特別な大会で、あれを超えるものはないですね。チーム作りにかける時間も違いますし、かかわる人数も違う。区ごとに上級生をサブリーダーにしてチームを作り、結束を高めていき、本番を迎える。緊張感と団結力が心地良い大会です」
今やお正月の風物詩となった箱根駅伝だが、昨年の噴火騒動で、一時は“大会中止か”と危ぶむ声もあがった。しかし、大会直前の12月下旬、箱根を訪れたところ、聞こえてきた声は、“大会は必ず開催される”と信じるものばかりだった。
「中止はありえません。大涌谷の火口に近いところに住んでいますが、警戒レベル3のときでも危険を感じたことはありませんでした。いざというときの対策もできています。毎年ずっと続いてきた大会が、レベル1なのにできないなんてことはないはずです。選手や応援する人たちを不安にさせるような報道はやめてほしいんです」(60代女性)
“箱根駅伝を中止にはしない”“今年もたすきをつなぐ”—──その思いは、この90年、消えたことがない。それは、走者も観客も同じだ。
※女性セブン2016年1月21日号