アメリカは「イスラム国」による中東情勢緊迫化に、何ら有効な手立てを打ち出すことができない。オバマ大統領の求心力は下がるばかりで、積極策を打ち出そうにもイラク戦争の悪夢がよぎる。アメリカ帝国の終わりの始まり同盟国の存在感低下を、日本はどう捉えるべきか。このたび新刊『大東亜論第二部』で日本人の精神性の復興を説く小林よしのり氏が、国際政治学者・三浦瑠麗氏と「新時代の安全保障」を語り尽くした。
小林:パリ同時多発テロをきっかけにフランスでは軍に志願する若者が増えていると聞くけど、もしも日本でテロが起きたときに「おれが戦う」という若者が出てくるのか。わしは懸念しているんですよ。善悪の問題ではなく、国民国家とは国民が自国を守るものでしょ。それなのにこんなにアメリカに依存していて日本は大丈夫なのか、と。
三浦:アメリカに対する日本政府の態度は、北朝鮮や中国の脅威が自覚された頃からずっと問題ですね。アメリカのシンクタンクなどの人が良く本音ベースで言うのですが、なぜ安倍政権や官僚はアメリカの政権や官僚に対してあんなに遠慮深いのかと。
日本の政治家や官僚は慎重に言葉を選び相手の気分を害さないよう気を遣う。でも米国ではそうしたやり方で尊敬を勝ち得ることはできません。
まずは信頼関係を築き、自らがどんな原則に則って行動しているのかを明らかにし、利害対立点も含め是々非々で議論をすることが肝要です。安倍政権は対アメリカでは遠慮し、国民に対しては「お上」として上から目線で臨む。
小林:常々わしもアメリカを全面的に信頼する安倍政権に対して「いい加減やめてくれ」といっているんですよ。安倍首相は「アメリカとは民主主義という価値を同じくしている」というけど、日本は民主主義を世界に「普遍化」させるべき価値とは考えていない。日本にとって民主主義はシステムに過ぎない。
三浦:小林先生は著書で、民主主義の根底には「自由」と「平等」があるけれど、両者は相反する価値観だと書かれています。自由を追求すると平等が損なわれ、平等を突き詰めれば、自由が失われる、と。
しかし西洋は二項対立の文明ですから、二項のバランスをとることを当然に想定します。でも日本は思想を輸入する過程で、思考体系を汲み取らなかった。現実の中で鍛え抜かれないままに言葉だけが定着してしまいました。
小林:そのとおり。それなのにSEALDsの連中は民主主義を、よっぽどありがたい価値かのように信仰している。民主主義の起源のアテナイ(ギリシャ首都アテネの古名)では、選挙に参加できる人間は国を守る兵士だった。本来民主主義は国民意識、つまりナショナリズムなしには成立しない。そんなに民主主義が好きなら「お前らも国を守る覚悟をしろ」といいたい。
三浦:ナショナリズムは大事ですね。それがなければエリート支配になってしまう。
小林:わしはいまのアメリカに保護されきった状態では日本はどうにもならないと考えている。だから日本の自主独立のため、西洋の近代合理主義によって失われた日本人の損得勘定を超えた道義のエートス(魂)を復興させたいと考えて『大東亜論第二部』を書いた。
日本独自の規範や道義という価値観を取り戻さなければ、リーダーシップをとれる指導者も出てこない。実際、規範や道義を国民に示すべき安倍首相が「徴兵制は苦役だから導入はありえない」なんて語っている。本来、国防は崇高な義務のはずです。リーダーも劣化している。三浦さんは徴兵制についてどう捉えているの?
三浦:先進国の民主主義、例えば米英仏、イスラエルなどを見ると戦争を行おうとするのはシビリアン文民で、ときに軍部が嫌がっても強引に踏み切っている。つまり血を流す兵士と違って、コストを意識しにくい政権や国民が戦争を選んでいるわけです。
民主主義である以上、それを防ぐことはできない。理念解があるとすれば、全世代に平等な徴兵制です。戦争を思い止まるには血のコストの認識を共有するしかありません。税負担では解決できません。戦いには正義もつきものです。血のコストを忘れた国民は正義を感じれば好戦的になりえます。