中京高時代は池田高校と熱戦を繰り広げた野中徹博氏
プロ野球の表舞台は、華やかな世界である。しかしキャリアを終えると多くの選手は一般人として生活を送らねばならない。日本プロ野球機構(NPB)のデータによると、2014年に現役を退いた選手は99人。うちNPBのチームとコーチ契約を結んだのは5人に過ぎない。表舞台を去り、「第2の人生」を力強く生きる男を追った。(文中敬称略)
中京高時代にエースとして甲子園を沸かせた野中徹博(50)は、1983年ドラフト1位で阪急(当時)に入団。中日、ヤクルトなどでも活躍したが、プロでは病気や怪我で期待通りの成績を残せなかった。初勝利は一度引退した後に現役復帰してからの32歳の時という苦労人だ。2度目の引退後の人生も、現役時代以上に波瀾万丈だ。
まず、医療機器メーカーに勤務し、市場調査を担当。その経験を生かしフランチャイズの調査会社を起業。いわゆる私立探偵稼業だ。次に下水道の調査会社に勤務。2006年には、WBCに出場する日本代表チームの打撃投手を依頼されると、退職してまで引き受けた。
現在は都内に本社のある看板メーカーに勤務。社員数500人を超す会社で社員指導という重要なポジションを担っている。
「野球には感謝しています。『努力すれば人にできて自分にできないことはない』と教えてもらえましたから。それは今も生きています。挨拶に始まる人付き合いの重要性。準備の大切さ。やることが違っても根本の大切なことは一緒。若手社員にもそう指導しています」
取材・文■田中周治 撮影■藤岡雅樹
※週刊ポスト2016年1月29日号