日々発刊される書籍だが、一体どんな本を読むべきなのだろうか。ノンフィクションライター・野村進氏が2015年に刊行された日本発のノンフィクション作品からいま読むべき3冊をあげる。
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原発事故後に殺処分にされたり、見捨てられたりした家畜の話は何度も報道されてきたが、『牛と土 福島、3・11その後。』(眞並恭介著・集英社)は一線を画す。牛を見捨てられない人間の苦悩の描写から始まるものの、「人間が牛を生かしておく理由」から「牛が生きる理由」へ、「人間が牛と一緒に生きる意味」から「牛が人の世話にならず、自ら餌を確保して幸せに生きる意味」へと、視点が劇的な転換を遂げる。
こうして著者は、牛の存在が大地に果たす役割を発見する。牛の生態を生き生きと描いた動物文学としても優れ、「これだけは伝えたい」という著者の思いが文章に漲る。
『みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記』(星野博美著・文藝春秋)は、キリスト教伝来によって「東と西」が日本で出会った400年前、絢爛たる南蛮文化が花開く一方、殉教という血みどろの世界があった事実を詳細に記し、そこに今日のグローバル時代を重ね合わせている。著者の方法論がユニークだ。「半径2mのノンフィクション」と言うべきか、天正遣欧少年使節が秀吉の前で演奏したリュートを自分も習い、キリスト教系の学校に通った自身の青春時代を振り返るところから始める。
そして、最後は殉教したキリシタンたちの故郷スペインにまで足を運び、殉教の瞬間に思いを馳せている。
『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』(堀川惠子著・文藝春秋)も、独特の方法論で真実に迫る。前半は、広島で引き取り手のない7万柱もの原爆被害者の遺骨が納められた塚を守ってきた老女の話で、よく取材してあるが、従来のノンフィクションの枠組みから出るものではない。
興味深いのは後半で、今や病床にある老女の思いを引き継ぎ、著者自ら、名前や住所が判明している遺骨の返還作業を始めるのだ。すると、ミステリーのように謎が立ち現れ、あの日、広島で起こった知られざる事実が浮かび上がってくる。
※SAPIO2016年2月号