プロ野球選手といえば、今でも小学生が憧れる仕事で必ず上位に入る花形職業だが、キャリアを終えた選手たちは、ごく一部の大スターを除き、野球以外の世界で第2の人生を歩まねばならない。1人の男を追った。(文中敬称略)
中日で捕手として8年間在籍した清水清人(36)は、引退後、故郷の島根県大田市に帰った。プロ生活一番の思い出は一軍初出場となった2001年8月のヤクルト戦(神宮球場)。バッテリーを組んだ投手は山本昌だった。「頭が真っ白で、気がついたら大差で負けていました」という清水。現在は、父と同じく、地元の五十猛という小さな漁港で漁師をしている。
「今は巻き網漁の船員をしながら、合間に素潜りでアワビやナマコを獲ったりしています。漁師の仕事は同じことの繰り返し。だから覚えるのは早かったですよ。辛かったのは船上での仕事ではなく、『おう!プロ野球』と呼んでくる相手に、笑顔で返さなければいけなかったことです」
現役時代は地元のヒーローだったが、漁師になってからはそんな口さがない人たちもいたという。
「漁師は難しい仕事ではないですよ。野球の方がよっぽど大変です」という清水の言葉は、単なる強がりには聞こえなかった。常に命の危険と隣り合わせの漁師の仕事が、容易いわけがない。胸中には「自分はもっと生存競争の厳しい世界で勝負してきた」という自負があるように思えた。
取材・文■田中周治 撮影■藤岡雅樹
※週刊ポスト2016年1月29日号