「宅急便の父」として知られるヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)元社長・小倉昌男氏。経営者として規制と戦い続けた人物として知られるが、晩年は、障害者福祉の世界に身を投じている。その背景にはいったい何があったのだろうか? そうした疑問を解き明かすべく、ノンフィクション作家・森健氏(47)は関係者を一人ひとり訪ね、証言を結び合わせ、これまで全く描かれてこなかった小倉氏の「真の思い」に迫った。
森氏の労作『小倉昌男 祈りと経営』は、昨年7月の第22回小学館ノンフィクション大賞で史上初の「全員満点」で大賞を受賞し、今年1月に書籍化されている。森氏が、同作に込めた思いについて聞いた。
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「宅急便の父」こと、ヤマト運輸(現ヤマトホールディングス)の小倉昌男・元社長が亡くなったのは2005年のことでした(享年80)。郵便以外の物流インフラを日本で初めてつくりあげた小倉氏は、稀代の名経営者として知られています。
経営者としての小倉氏の業績、あるいは運輸省や郵政省など霞が関の官庁による規制との闘いを描いた作品は、これまでにたくさん刊行されています。今回、あえてその小倉氏について取材し、改めて1冊の本にまとめたのには理由があります。小倉氏の人生にはいくつかの「謎」が残されていたのです。
その一つは現役を引退した後に、私財のほとんどすべて(46億円)を投じて福祉の世界に足を踏み入れていったことです。
小倉氏は1993年に「ヤマト福祉財団」を設立し、障害者福祉にその晩年を捧げました。その取り組み自体が、敬意を表すべきものであることは疑いようがありません。ただ、小倉氏は巨額の私財を投じながら、「なぜ障害者福祉なのか」という動機を全く公にしていませんでした。むしろ、自著では〈はっきりした動機はありませんでした〉と述べています。
志の高い名経営者であっても、私財すべてを投じるのに何も動機がないのはあまりに不自然です。むしろそこには、まだ語られていない何か強い思いがあるのではないかと感じられました。
もう一つ謎を挙げると、小倉氏が2005年に亡くなった場所が、米ロサンゼルスにある長女宅だったことです。80歳という高齢で、しかも膵臓がんを患っていた小倉氏は、亡くなる3か月前に無理を押して渡米し、彼の地での死を選んでいました。なぜ住み慣れた日本ではなく、長女が住む米国だったのか。その理由も、これまで明かされてきませんでした。