昨年4月、東京都練馬区で、病死した妻(64才)の、火葬されたばかりの頭蓋骨をスーパーの屋外トイレに捨てたとして、無職の夫(68才)が書類送検された。刑法190条により、遺骨を捨てることは“死体遺棄”罪にあたるためだ。夫は「生前、(妻に)苦労をかけられ、憎んでいた」などと容疑を認めたという。
2010年11月には、2008年に両親の遺骨を遺棄した男性が逮捕された。「金がなく、どうしようもなくて捨てた」と供述。逮捕まで2年を費やしたのは、男性が親戚を頼れず、職を失い、家を失い、路上生活を送っていたためだ。
また2007年には、寺の境内に夫の遺骨を遺棄した疑いで73才の女性が逮捕された。2004年から遺骨を保管してきたが、「これ以上の保管は困難」「子供に迷惑をかけたくなかった」と漏らしたという。
一方で、読売新聞の報道によれば、1年間で、警視庁管内では10個、九州圏で16個、近畿四国で27個の骨壺の遺失物があった(2012年度)。電車の網棚や公共トイレなどで発見されたそれらの骨壺には共通点があった。戒名札や火葬場を特定できるような包みが取り除かれていたという。つまり、忘れたのではなく、「捨てた」のだ。
遺骨は法律上、勝手に遺棄することはできないので、納骨するか、手元に置いておくかしなければいけない。一方で近年、墓を巡る問題が深刻化している。過疎化、核家族化の影響で、地方には無縁仏が増え続けている。また都市部では土地が高騰し、墓を買えない人が多い。冒頭の事件は、そんなやむにやまれない事情が絡みあった不幸の連鎖といえよう。
そんな現代において、注目されているのが「散骨」だ。火葬後の焼骨を粉末状にして、海や空、山中などにそのまま撒く葬法だ。
日本では1987年、石原裕次郎(享年52)が亡くなった時、兄の石原慎太郎(83才)が、「海を愛していた弟は、海に還してあげたい」と海洋散骨を計画したが、当時の法解釈(刑法190条、墓地、埋葬等に関する法律)では認められず断念。しかし1991年に「葬送のための祭祀で節度を持って行われる限り違法ではない」と法務省が発表。これ以降「他人の土地に無断で撒かない」「散骨場所周辺の住民感情に配慮」といったことを遵守するということで、散骨が行われるようになった。
世界でも古くは、ドイツの理論物理学者、アルベルト・アインシュタイン(1955年死去、享年76)、20世紀最高のソプラノ歌手といわれたマリア・カラス(1977年死去、享年53)らが散骨している。最近でも1月にがんのため死去した、イギリスのアーティスト、デヴィッド・ボウイ(享年69)の遺灰は、彼の別荘があった米ニューヨーク州の山地で撒かれるという。
※女性セブン2016年2月11日号