日韓合意を「当事者」不在の政治解決と指摘する声は多い。では、当事者、つまり元慰安婦たちはいかなる声を持つのか。直接確認したメディアは少ない。彼女たちの立場を考慮する必要はあるにしても、取材者としては直接対面して、その思いを届けることが求められるはずだ。ジャーナリスト・安田浩一氏がソウルに飛んだ。
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深い皺(しわ)の刻まれた腕が伸びる。カン・イルチュルさん(89歳)は私の手のひらを包み込むように握った。
しゃがれ声で私に尋ねる。
「日本から来ましたか?」
たどたどしい日本語だった。
私が頷くと、節くれ立った指にぎゅっと力が入る。
真冬の午後の穏やかな陽が、オンドルの効いた部屋の中に差し込んでいた。テレビはバラエティ番組を映している。恐る恐る慰安婦問題の「日韓合意」について尋ねた。
イルチュルさんは表情をほとんど変えなかった。握りしめた私の手を自分のほうに引き寄せ、まるで子どもをあやすように上下に揺らした。 「こうやってね、手を握る。そうすればわかる。大事なことです」
当事者はここにいるのに──手のひらを通して、その思いは伝わってきた。
ソウルからバスで約1時間。京畿道広州市の「ナヌムの家」を訪ねた。元慰安婦10人が共同生活を送っている。イルチュルさんもそのひとりだ。90歳に近い老人が能弁であるはずがない。彼女は私の手を握り続けながら「こうすることが大事」と繰り返した。
深く刻み込まれた皺は、人生の荒波を表している。そして、同じようにイルチュルさんの全身に刻印された日本語を、日本という国を、思った。昨年12月24日、「年内に慰安婦問題解決に向けた日韓交渉が行われる」と報じられた時から、「ナヌムの家」は内外マスコミの注視を受けてきた。
「(交渉開始は)まったく予想していなかった」と話すのは、「ナヌムの家」のアン・シングォン所長である。元々はロッテグループの会社員だったというアン所長は、てきぱきと事の経緯を説明する。
「私もネットで交渉が始まることを初めて知ったんです。26日にはハルモニ(おばあさん)全員に集まってもらい、意見を聞きました。全員が驚いていましたよ。なぜ当事者である自分たちを差し置いて事態が動いているのか、と」
12月28日、ソウルで開かれた日韓外相会談で慰安婦問題の「合意」が発表される。日本側が「心からのおわびと反省」を表明、韓国政府が設立する元慰安婦支援の財団に日本側は政府予算で10億円を拠出する、といった内容だった。
「これも結局、私はハルモニたちと一緒にテレビのニュースで知ることになるのです」 同29日、外交部のチョ・テヨル第二次官がようやく「ナヌムの家」を訪ねる。チョ次官は元慰安婦たちに「足を運ぶのが遅くなった」と詫びた後、「交渉は相手がいることなので、大局的な観点から中身は理解してほしい」と訴えた。
「でも、ハルモニたちはほとんど納得していなかった。どうして自分たちの意見を聞いてから交渉しないのかと口々に漏らしました」
次官は「ハルモニたちに叱られながら」(アン所長)、施設を後にしたという。