放送作家でコラムニストの山田美保子氏が独自の視点で最新芸能ニュースを深掘りする連載「芸能耳年増」。今回は、元夫の逮捕騒動の中、その元妻にエールを送る。
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「容疑者」と呼ばれる元夫には及ばないものの、検索ワードとして急上昇したのがモデルの清原亜希である。
そんな彼女がなぜ離婚後も清原姓で仕事をしていたのかについては、一部で「したたか」との見方がある。清原ブランドを利用して、仕事をしていたというのだが、私はそうは思わない。離婚理由の一つに、薬物疑惑報道もあったのだから、姓を変えるチャンスはそのとき確実にあったハズ。それでも清原姓を名乗り続けたのには、夫の姓であるというだけでなく、自ら築き上げた思い入れのある名前だからという認識が清原亜希にはあったのではないか。
10代でミス・セブンティーンに選ばれ、あの工藤静香らと共に「セブンティーンクラブ」なるアイドルグループのセンターをつとめていた少女・木村亜希(旧姓)。同グループを経て、工藤静香はおニャン子クラブで人気を博し、ソロとなり、90年代、一世を風靡する超人気歌手となったことはみなさんもご存知のとおりだ。
が、木村亜希は別のアイドルグループに加入するも、そこでも売れることはなかったのである。そんな彼女が「清原亜希」として全国区となったのは、アラフォーの美魔女読者に愛される『STORY』(光文社刊)のカバーモデルになってから。まさに彼女が40才台となる08年のことだった。
とてもよく憶えている。『JJ』の超人気モデルだった黒田知永子(旧姓・樫本)が30代の美しいママをターゲットにした『VERY』創刊と同時に専属モデルとして復帰。そこで同年代の読者の圧倒的な支持を集め、同誌の初期読者と共に黒田が年を重ねたタイミングで創刊された『STORY』にスライド。タレントとして『笑っていいとも!』(フジテレビ系)にレギュラー出演するほどまで登り詰めた。
読者に「チコさん」のニックネームで愛され、表紙のみならず広告やタイアップページにまで顔を出し、絶大なる影響力を誇っていた黒田の『STORY』卒業後に代わって登場したのが清原亜希だったのである。
読者にとっては、「は? どなた?」だったと思う。
80年代、女子大生ブームの最中にJJモデルをしていて、東京生まれで成城大学卒で、その後、専業主婦をしていた黒田は、そのプロフィール含めて読者の等身大であり、同時に憧れだったのである。
が、清原亜希は地方生まれの売れないアイドル出身。しかも夫は、女性にはそう人気があったタイプではないプロ野球選手。夫の職業は大事な大事なファクターだけれど、それよりも自分のブランドのほうを大切にしてきた元JJガールたちの多くは、「三浦りさ子(キングカズの妻)や生田智子(ゴン中山の妻)ならわかるけれど…」という反応だったと聞く。
というワケで、多くの読者に「ヨソ者が来た」と少なからず落胆させた清原亜希だったが、そこから彼女は自らのファッションセンスやライフスタイルを小出しにしながら人気主婦モデルになっていくのだ。
彼女の“愛される人柄”というのも読者に支持される一因だったようだ。
息子さんたちの“お受験”に成功してからは、後輩ママたちから羨望の眼差しで見られるようにもなった。