PL学園が窮地だ。名門野球部の栄光時代を象徴するOB・清原和博の逮捕(覚醒剤所持)だけではない。学園そのものが存続の危機にあるのだ。昨春、本誌ではPL学園の内部進学を除いた高校入試出願者がわずか28人だったことを伝えた(2015年2月27日号)。今年はさらに衝撃の数字が公になった。
大阪府私立中学校高等学校連合会によれば、PL学園中学の出願者は外部募集定員51人に対したったの9人(昨年は27人)。0.18倍という競争倍率は、府内の共学私立で最低水準だ(高校の出願者数は本稿締め切り時点で未公表)。2月6日に卒業した元野球部員が証言する。
「僕らの代は一学年3クラスでしたが、2つ下の後輩の代は2クラスしかない。これ以上生徒が少なくなると母校がなくなるんちゃうかなと心配しています」
幼稚園から短大まであったPL学園の全盛期は、KK(桑田真澄、清原)がいた1980年代である(現在、短大は閉鎖)。高校だけで生徒数は1000人を超え、野球部が甲子園に出場すれば小中高の在校生がアルプス席を埋めて「PL」の人文字を作るマンモス校だった。
しかし、現在は大阪府富田林市の広大な敷地は閑散とし、母体となるパーフェクトリバティー教団や学園に籍を置いた経験のある関係者の間では、廃校すら危惧されている(学園は「粛々と学校運営に取り組んでおり、廃校ということはない」と回答)。
野球部は一昨年秋に新規部員募集停止を発表。その結果、この4月からは「部員は3年生のみ」となる。残された現役野球部員はわずか12人だ。
PLの伝統は厳しい上下関係で、グラウンド整備や練習後のボール拾いは「下級生の仕事」だったが、今は12人で雑務も協力し合って練習に励んでいる。前出の卒業生はいう。
「PL最弱の世代だと思います。ただ、秋季大会は1回戦負けでしたけど、その後にあった練習試合では大阪大会で優勝した大商大堺と引き分けることができた。一冬越えて、たくましさを増しています」
中学への出願者が9人では、甲子園のアルプスに人文字を描くことは叶わないが、それでも「最後の夏」に必死で挑もうとしている。
●取材・構成/柳川悠二(ノンフィクションライター)
※週刊ポスト2016年2月19日号