格差や貧困の影響を最も受けるのは、いつの時代も「子ども」たちだ。育児放棄や学級崩壊など問題が噴出するなか、インターネットなどの普及によって子どもが社会と接する機会は早まる。今年、選挙権も18歳に下げられるなか、教育とはいかにあるべきか。ノンフィクションライターの山川徹氏が、気骨の教育者・無着成恭氏(88)に話を訊いた。
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懐かしい響きである。ある年齢から上の世代なら誰もが耳に馴染んだ声なのではないか。
「私はもうご隠居ですから。いまは死ぬまで養われて生きている状態です。いわば、畜生になったわけです」
無着成恭。戦後ベストセラーとなった山形県の寒村に暮らす子どもたちの作文集『山びこ学校』を世に送った教師というよりも、昨年3月まで51年間続いたTBSラジオ『全国子ども電話相談室』の回答者として知る人が多いだろう。
故郷を離れて60年以上の歳月が流れているはずだが、口舌には山形訛りがしっかり残る。純朴でおっとりとしたイントネーションに似合わず、その言葉は僧侶にして往年の名物回答者らしくシャレが効いていた。
無着は1964年の番組スタート時から33年にわたって出演を続けた。「宇宙とあの世はどっちが遠い?」という質問に対して無着は「あの世は1度行ったら帰ってこられないけれど、宇宙からは帰ってこられますよね。ですから宇宙の方が近い」と答えた。「レンコンの穴はいくつあるの?」と問われ、レンコンを買って穴を数えたこともあった。大人には浮かばない素朴な疑問に対して、真剣かつユニークに回答するのが無着の持ち味だった。
1927年に山形県本沢村(現山形市)の寺院の長男として生まれた無着は、戦後、教師として山元村(現上山市)の山元中学校に赴任。1954年に上京し、駒澤大学仏教学部を卒業後、私立明星学園教諭を経て、千葉県香取郡の福泉寺、大分県国東市の泉福寺の住職を歴任した。現在は別府市の高齢者マンションで暮らしている。無着は“ご隠居”にしておくには惜しいほどのエネルギーで語った。
──本当にお元気ですね。
「満年齢では今年で89歳だけど、仏教では数え年で数えるので90歳です。お母さんのお腹のなかで1年を過ごすわけだから、その時間を勘定に入れないと親不孝だという考え方があるんです」
──ところでご自身が畜生になったというのはどういうことでしょう。
「生物的に人間はイヌやネコと変わらない畜生として生まれてくるわけですよ。『子どもにも人格がある』なんていうバカな教育者や親がいるけど、人格は形成されるものです。生まれたばかりの赤ん坊には人格なんかない。畜生は食べ物を与えられて畜養されているから、いまの私も畜生と同じだ、と」
──子どもは教育を受けて畜生から人間に成長するということですか。
「その過程で大切なのが人と人の関係です。人間って“人”と“間”って書くでしょう。2つの単語を合わせたときに後ろの言葉の意味が重要になる」
無着は本棚を「“本”と“棚”で本棚」と指さし、次にテーブルの上のミカンを手に取り「“ミカン”と“箱”でミカン箱」と続けた。
「本棚は棚であって本ではない。ミカン箱も箱であってミカンではない」