台湾の新総統である蔡英文氏は、中国依存からの脱却を掲げる一方、日本との連携強化に動き出した。彼女は戦前の日本統治時代についても、「日本人には誤りもあったが、台湾に対する貢献もあった」と冷静に評価する。新総統の誕生によって、日台関係は再び蜜月の時代を迎えようとしている。
国を挙げての盛り上がりとなった総統選の期間中、実はもう一つ、台湾で話題を呼んだ“ちょっとした騒動”があった。それは、70年前に遡る日本と台湾の“絆”を、いまの台湾人に思い起こさせる話だった。
騒動は、熊本県玉名市在住で106歳(取材当時、以下同)の高木波恵さんが出した1通の手紙から始まった。高木さんは1930年代、日本統治時代の台湾台中市にあった烏日公学校(現在の烏日小学校)で教鞭を取り、主に小学2~3年生の台湾人生徒を指導していた。
昨年2月、台湾で大ヒットした映画『KANO』の日本公開を知った高木さんは、久しぶりに台湾の教え子たちに手紙を書いてみようと思い立った。『KANO』は日本統治時代の台湾に実在した嘉義農林学校(現在の国立嘉義大学)の野球部が、海を渡って甲子園に出場し、初参加ながら準優勝するまでを描いたスポーツドラマだ。
実は高木さんは映画のなかで描かれている決勝戦を、烏日公学校近くの役場で、同僚たちとともに実際にラジオで聞いている。決勝戦が行なわれたのは1931年8月21日。映画の公開をきっかけに、80年以上も前の古い古い記憶が呼び起こされた。
教え子たちもすでに90歳近くなっており、消息がわからない者もいる。20年ほど前までは手紙の往来もあったのだが、1999年に発生した台湾大地震以降、完全に音信が途絶えていた。