日本人の誰もが愛してやまない缶詰だが、その歴史は古い。18世紀末、フランスの英雄として遠征を繰り返していたナポレオンは、軍のための食料貯蔵法の公募を行なった。それに応え、1804年にニコラ・アペールがびんでの食品保存を可能にする。
また、ブライアン・ドンキンは、世界初の工場を造り、早くも1813年イギリス陸海軍に缶詰の納入を始めている。だが、当時の技術では1日に1人で製造できる缶詰は60~70缶ほど。まだ缶切りはなく、金づちとのみ、もしくは銃剣で無理やり開けていた。
1820年ごろにはアメリカにブリキ缶の技術が伝わり、1861年からの南北戦争で需要が高まったことで一般家庭にも普及する。1885年ごろには製造工程が自動化され、1日で約6000缶を生産していた。
日本では、1877年に石狩缶詰所が創業され、明治時代には主に海外向け、軍需用として生産された。だが、庶民には手の届かないものであったという。
昭和初期に入ると、みかんの剥皮法が開発され、輸出を開始。戦争の影響で缶詰産業は一時停滞するが、戦後、さば、いわしなどの缶詰が多く輸出された。
1973年、ドルの変動相場制への移行で、国内向け商品が急増する。経済安定期と重なり生産量は右肩上がりとなるが、その後レトルト食品に押され減少。東日本大震災で防災意識の高まりと味が再評価され、2012年には32年ぶりに生産量が増加した。
※週刊ポスト2016年2月19日号