妻の妊娠と同時に乳がんが発覚。妊娠を継続するか、それとも治療に専念するか。究極の選択を迫られた夫婦が出した結論は「家族“3人”で闘い抜くこと」だった。アナウンサーの夫は、「その時」が近づくとレギュラー番組を休む決断をし、そのことは大きな話題を呼んだ。これは「妻」が「母」として生きた112日間を記した実話である。
2016年2月某日。番組の収録を終えた読売テレビアナウンサーの清水健さんは、著書『112日間のママ』に記した妻・奈緒さん(享年29)との思い出を振り返りながらこう話す。
「奈緒が亡くなってからの1年は、僕にとって一番働いた年でした。何か一度止まってしまうと、奈緒がいない悲しみから抜けられない気がして……」
清水さんは『かんさい情報ネットten.』(読売テレビ)でメインキャスターとして活躍している。入社当初はスポーツ中継などを担当。『どっちの料理ショー』(読売テレビ制作、日本テレビ系)では、三宅裕司のアシスタントとして同番組を盛り上げた。2013年6月には『ten.』でスタイリストをしていた奈緒さんと結婚。幸せな新婚生活を送っていた。
それから1年で奈緒さんが妊娠。奈緒さんから「子供ができた」と伝えられたとき、清水さんは「ほんまに!? ありがとな」と飛びあがらんばかりに喜んだ。だが、幸せな時間は長くは続かなかった。
奈緒さんの左胸に乳がんが発覚。超音波検査の結果では、転移している可能性も指摘された。
若年性乳がんは進行が早い。だが、お腹の中の赤ちゃんへの影響を考えると、分子標的治療、ホルモン治療、放射線治療は選べない。切除手術をしても、CT検査も使えないため転移の有無さえわからない。
〈「出産を諦めるのか、諦めないのか」。
僕たちは幸せの絶頂から一瞬にして、「命の選択」を突きつけられたのだ〉(以下、〈 〉内は『112日間のママ』より抜粋)
その時、奈緒さんは言葉にはしなかったものの、清水さんに目で「産みたい」と語りかけてきたという。夫婦は「3人で生きる道」を選んだ。
◆出産直後「3か月」の余命宣告
結婚式からちょうど1年後の5月19日、滋賀にある乳腺クリニックに入院。2人は初めての結婚記念日を病室で迎えた。翌日、手術。清水さんは仕事を休むつもりだったが、
〈「いつも通りにして。私は画面の向こうの、いつもの健さんが見たい」〉
という奈緒さんの言葉に押され、手術に立ち会うことなく病院から出社した。
〈「じゃあ行ってくるね」
病室を出た途端に、自然と涙が出た。あの時、僕は多分初めて泣いた。
なんで奈緒なんや。
なんでよりによって奈緒なんや〉
手術は無事終了。退院し、胎児への影響を考えながらの抗がん剤治療が始まった。約5か月後の10月23日、奈緒さんは帝王切開で無事に男の子を出産した。だが出産後、奈緒さんは激しい腰の痛みに襲われる。がんは肝臓や骨、骨髄にまで転移していた。
「もって3か月」
喜びの出産から2週間。医師から、あまりにも残酷な余命宣告をされた。より大きな病院に転院し、抗がん剤治療を続けた。
〈僕は病院から会社に出社し、入れ違いに、僕の親が息子を病室に連れてくる。そして、僕は仕事が終わると、会社から病院に直行し、親とバトンタッチし、家族3人の時間を過ごす〉