戦後70年を迎えた昨年、“あの戦争”に従事した英霊たちに改めて関心が集まった。しかし、彼らの存在は忘却されたままだ。太平洋戦争時、日本軍に参加・徴兵された朝鮮人日本兵のことである。昨今、日本人の遺骨収集に進展が見込まれるなか、両国政府は朝鮮人の遺骨について、見て見ぬふりを続けている。共同通信記者、角南圭祐氏がレポートする。
* * *
2013年11月、沖縄本島南端の糸満市。サトウキビ畑の中にある小さなガマ(洞窟)に、くすんだ黄色の韓国式喪服に身を包んだ男性が入っていった。男性はガマの奥に向かい「アボジ(お父さん)、来ました」と話しかけた。ガマの前には「兵站慰霊之碑」が建つ。
ガマを出て碑に祭壇を設けた男性は、「今日は息子の酒を受けて、悲しみや苦痛、悔しさを忘れてください」と、背を丸めて韓国焼酎の入ったコップを捧げた。
男性は、沖縄戦で父を亡くしたソウル市の権水清(クォンスチョン)さん(77)。厚労省の記録や当時の部隊記録など複数の史料にあたり、やっと探し当てた「最期の地」と思われる場所だった。父・権云善(クォンウンソン)さんは、厚労省の記録では「1944年、陸軍特設水上勤務第104中隊に軍属として編入され、生死不明」としか分からない。
部隊記録によると、中隊は沖縄で運搬作業や道路整備、朝鮮人軍夫の教育などに当たったようだ。兵士とともに沖縄戦に投入され、最後は1945年6月22日、慰霊碑近くで「全員斬込隊となる」と、玉砕により部隊が消滅したことが分かる。戦闘訓練も受けず、ろくな武器もないのに米軍の弾幕の中へ突っ込んでいく朝鮮人たちの中に、権云善さんの姿もあったのだろうか。
権さんは慰霊碑を訪れた翌日、口の粘膜からDNA検体を取り出すキットを使い、自分のDNA検体を用意した上で、沖縄県庁を訪れた。「生死もはっきりしていない父の遺骨が見つかれば、私もすっきりする。検体を預かってほしい」と要請したが、県の担当者は「遺骨のDNA鑑定は厚労省がやっている。国と調整してほしい」と断った。
遺骨を探す遺族にとって、DNA鑑定への期待は大きい。菅義偉官房長官は昨年5月、「ご遺体の身元を特定し、遺族の気持ちに応えるのが政府の役割だ」と述べ、鑑定の対象を広げると発表した。厚労省は本年度中にも遺骨と遺族のDNAのデータベース化に着手する方針だ。