覚せい剤取締法違反で逮捕された清原和博容疑者(48)。周囲の人々はどう見ていたのか。清原の入団2年目から西武ライオンズで指導をした恩師・森祇晶氏が、清原からの相談事を明かす。
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5年ほど前、清原が家族とハワイに来た時に連絡があった。「一対一で話がしたい」という。我が家に呼び、2人で3時間ほど話をした。彼は「家族を守りたいが、野球人としてこれからどうしたらいいか分からない」「もう一度ユニフォームが着たい」という相談をしてきた。だから私はこうアドバイスした。
仕事でなくても球場へ行き、野球を勉強せよ。よく現場へ来ていれば必ず指導者にという声が出てくる。気持ちがテレビのバラエティや格闘技に向いているようではダメだ。真摯に野球と向き合いなさい──。
清原は神妙な顔で「分かりました」と言っていた。家族を守りたい気持ちが強く感じられたし、私は彼が相談に来てくれたことが嬉しかった。
しかしそれから一度も連絡はなかった。心配して手紙を3回ほど出したが返事はなく、音信不通になった。余計なことをしたかなと思った。桑田(真澄)が「小姑のように言い続けたが、小言を言われるのに嫌気が差したのかも」と言っていたのと同じ気持ちだ。
その後、入れ墨の話を聞いた時は「なぜだ」と思った。礼儀正しい、言葉遣い一つとっても丁寧な男だったのに。思えば巨人でピアスをし始めた頃から、彼の中で何かが変わっていたのかもしれない。
西武時代、私は清原を1年目から4番に据えた。彼は責任感の強い男で、私の期待に十分応えてくれた。この頃、私が清原を甘やかしすぎたと批判されていることは知っている。確かに私はグラウンド外では自由にさせていた。だがこれは社会人なのだから痛い目に遭うのも勉強で、それを乗り越えて立派な野球人になると考えたからだ。現に私は西武の他の選手たちにも同様に接し、彼らは立派な指導者になっている。
なのになぜ、特にあの真面目だった清原が──。今はとにかく、「なぜだ」という気持ちしか浮かんでこない。
※週刊ポスト2016年2月26日号