【書評】『昭和下町カメラノート』大西みつぐ/日本写真企画/1300円+税
【評者】川本三郎(評論家)
写真家には、世界各地を旅する移動型と、地元に留まり身近な風景を見つめる定着型がいる。東京の下町、深川に生まれた大西みつぐさんは徹底した定着型。下町、とりわけ現在の江東区、墨田区、江戸川区、葛飾区あたりの風景を撮り続けている。
どの写真にも生活者の暮らしが沁みこんでいる。高層ビルが並ぶ都心とはまったく別の町に見える。井戸のある路地、煙突が立つ銭湯、豆腐屋や魚屋、古ぼけたのれんの掛かった大衆酒場、猫が歩き老人が日なたぼっこをする路地の奥、釣り人が糸を垂れる川辺。昔の東京かと思うが現在の町。丁寧に歩けば下町にはまだ懐かしい「昭和」が残っている。
東向島、地蔵坂、砂町、京島、文花、四つ木といった、人が言い騒がない小さな町が多い。北区のはずれ、荒川が隅田川とわかれるところにある旧岩淵水門と、川に浮かぶ中之島の写真があるのは、この場所が好きな人間にはとりわけうれしい。
大西さんの写真は、大声で自己主張するものではない。撮影者はあくまでも町や人物のうしろにいる。浅草橋の百年以上になる洋食屋の主人夫妻の写真、本郷のフルーツパーラーの入り口に昭和の始めから置かれているというアメリカ製の古いレジスターの写真など大西さんは確かに時を見ている。
テレビの番組で若いアイドルと職人の仕事場に行った。黙々と仕事をする職人の前でアイドルがはしゃいだ。大西さんは思わず叱ったという。
大西さんが「静けさ」を撮ろうとしているのも分かる。植木鉢の置かれた路地、夕日の当たる店終いしてしまった大衆酒場、死者を供養する灯籠流し、博物館にひっそりと立つ等身大の人形、明日の祭りを前に境内で一人「型抜き」の露店で遊ぶ女の子。どこかにあるもうひとつの町へとつながっているようだ。
思いがけずダイナミックな写真がある。部活帰りの女の子が橋に向かって勢いよく自転車を漕ぐ。見開き一杯に若さが弾けている。
※週刊ポスト2016年2月26日号