中国共産党機関紙「人民日報」は今月初旬、30年前には極貧地区だった福建省寧徳地区の寒村がいまや一人あたりの年間収入が当時の100倍以上の1万3000元(約23万4000円)にも増え、高速道路も開通するなど、極貧を脱したとの記事を1面トップで報じた。
同紙はこの村が貧困を脱したのは昨年1月、習近平国家主席が政府機関に直々に開発指令を出したためで、「中国の最高指導者の配慮が住民の生活を大きく変えた」と大々的に報じている。
実は、寧徳地区は約30年前、習近平国家主席が福建省在勤中、トップを務めており、「30年も経っているのに、当時のことを忘れず、30年も村民の生活を気遣っていた」と同紙は報じるなど、明らかな「よいしょ記事」。だが、党機関紙とはいえ、これほど露骨な習近平崇拝の記事を1面に掲載するのは極めて異例だ。習氏の権力掌握の一環といえる。
この村は寧徳県の赤渓村で、ショオ族という客家系の少数民族が居住していることで知られる。
険しい山々に囲まれており、農業といっても穀物は育たず、野菜が主菜で、人々は食べるものもほとんどなく、お粥と野菜でその日暮らし。年間の収入も100元(約1800円)に満たず、村民は血を売って、生活費に充てるという極貧の村だった。
習氏が寧徳地区のトップとして赴任してきたのが1988年で、福建省の中でも経済特区があり、最も豊かだった厦門(アモイ)市の副市長からの転任だったため、習氏は寧徳地区の貧しさに非常に驚いたという。
そのなかでも赤渓村は極貧で、習氏は住民らに「水滴、石を穿つ」という精神で少しずつでも生活を変えていこうと訴えかけ、コメなどが生産できるように土地を開墾するよう指導。福建省から補助金を交付してもらうよう提起したという。
その甲斐もあって、赤渓村の生活も徐々に良くなっていったのだが、習氏は赴任から3年後の1993年に福建省の省都である福州市トップとして転任した。
習氏は福建省にとどまっているうちは赤渓村のことを常に気にかけて、補助金などを交付していたのだが、2002年には浙江省トップに転じ、2007年には上海市トップとなり、同年党政治局常務委員と最高指導部入り。いまや最高指導者の座に就いている。
その習氏は30年前のことを忘れず、赤渓村のことを気にかけ、貧困脱出を政府機関に働きかけた結果、高速道路などが整備され、いまや少数民族の「ショオ族の故郷」というフレーズで、観光名所となっており、住民の生活も潤い、極貧から脱出できたと同紙は報じている。
とはいえ、北京のジャーナリストは「中国の最高指導者が政府機関に命じればできないことはないだけに、ショオ族の村の繁栄は習主席による政治ショーだ」と述べている。