【書評】『夜、僕らは輪になって歩く』/ダニエル・アラルコン著/藤井光訳/新潮社/2200円+税
【評者】鴻巣友季子(翻訳家)
この本のタイトルはラテン語の傑作回文「In girum imus nocte et consumimur igni(夜、我らは円を描き、火に焼き尽くされる)」から来ているのだろう。冒頭エピグラフに、フランスの思想家ドゥボールからの引用があり、ドゥボールには、まさにこの回文を題名にした映画がある(邦題「われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを」)。
この回文からイメージされるのは、明るい光に吸い寄せられ、むざむざ焼かれてしまう夜の虫たちではないか。本書のタイトルは、危険なものに宿命的に引きつけられていく人間の隠喩としても機能している。
舞台は作者の生まれたペルーの首都リマと、アンデス山脈の内陸部のようだ。ストーリーラインは主に二つあり、一つは、内戦終結後に「ディシエンブレ」という伝説の左翼小劇団のオーディションに受かり、役者の道を歩みだす若者ネルソンの物語。ここに、元恋人でいまは別の男と暮らす女の子との関係が絡む。
もう一つは、この三人だけの劇団の主宰者ヘンリー・ヌニェスの凄まじい来し方。彼は内戦中に『間抜けの大統領』という風刺劇を書いて上演し、「収集人街」にある最悪の刑務所に入れられていた。そこで同じ房の若い男と愛しあうようになる。
この二つのラインを繋ぐのが、謎の「僕」という雑誌記者の語り手。唐突に「彼は僕にそう語った」といった形で出てくるが、正体はよくわからない。「僕」が人々へのインタビューや日記をもとに書いたものが本作らしい。もちろん、ジャーナリズムの記事を逸脱して、明らかにフィクション化している。現実の「ふり」をした本作そのものが演じ手、すなわち役者なのだ。
題名に入っている「輪」も重要だ。「彼らの社会は重なり合う若者たちの輪によって構成されていた」といった細部の表現から、反復と循環を暗示する風刺劇、歴史の堂々巡りにいたるまで、「輪」が随所に見え隠れする。宿命、円環、擬装―作品の三つの主要なテーマを一文で見事に表したタイトルとも言えるだろう。
※週刊ポスト2016年3月4日号